人生消化試合でも仏教を聞くことで人生は変えられる

要約

10代20代の目標

→  お金持ち 有名になる 結婚これらを手に入れた人はリア充といわれる

しかし50代60代になっても手に入らなかった場合、消化試合の人生と思ってしまう

仏教では人生消化試合だといっている人もリア充の人も一切皆苦と説かれる

また、仏教では全人類はものすごい激しい流れの川を、ずっと川下りしている小さな小舟に乗っているようなものだ、とたとえられる。この小舟の上で勝った負けたといっている。しかしこの小舟は死という滝つぼに向っていることを忘れてしまっている。お釈迦さまはこの小舟の上だけのことを説かれたのではなく、死という滝つぼに落ちることを視野に入れた教えを説かれた。

どれだけお金持ちになっても有名になっても素敵な人と結婚しても幸せなはずなのに何か寂しくて虚しい。それはやがて崩れ去るものだと感じているから。仏教では無常迅速の機という。死があっという間にやってくる。

小舟から救出するために大きな船に乗り換えなさいと教えられるのが仏教。大きな船とは無量光明土という仏の世界に往く船で、この大きな船に乗り換えたら心は浄土に遊ぶように明るくなる。この大きな船に乗った心を信楽といい、無上の幸福とも絶対の幸福ともいう。この大きな船は大悲の願船といわれる。

感想

人生は一切皆苦であるとお釈迦さまは説かれた。リア充の人も消化試合だと思っている人も苦しみから逃れられない。すべての人は急流を下る小舟に乗っているようなものであり、それはやがて死という滝つぼに向っている。このたとえを聞くと、小舟の上で勝った負けたといっていることよりも必ず滝つぼに落ちてしまうことを考えなければと思う。そして仏教には小舟から大きな船に乗り換えられることが教えらえれている。死という滝つぼに落ちる前に早く乗り換えなければならない。

普段生活しているときは、どうしたら儲かるかやどうしたらみんなに認めてもらえるかということばかり考えてしまう。欲を満たすことばかりに意識が向いて、自分が死の滝つぼに向っていることを忘れてしまう。しかし仏教を聞くと意識が変わる。欲のことばかり考えてはダメだと考え直すことができる。

仏教の教えは聞き続けなければならない。聞かなくなってしまったら欲を満たすだけの人生になってしまう。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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