要約
人生は泡沫 水面に浮かんだあぶくのような泡みたいなもの
一炊の夢 虜生 翁
・ 虜生という若者がいた。不遇で社会的に認められていない。虜生は自分の人生を変えようと、田舎から都へでることにした。その途中に一軒の茶店があった。茶店でご飯を食べようと思い店の中に入ると、粟飯を炊いている最中だった。席に座ると隣に一人の翁がいた。虜生はその翁といろいろな話をした。自分の人生がうまくいかないことや、都にでて立身出世したいことなどについて。翁は食事ができるまで時間があるから、ひと眠りするかといい虜生に枕を貸す。虜生は粟飯ができるまで横になることにした。
・ やがて虜生は都にでて科挙という試験に合格する。そして官僚になった。仕事を頑張りさらに認められて上司のお嬢さんと結婚することになった。北方から異民族が攻めてきたときに戦いで手柄を得た。周りからは評価されたが、妬みを買い讒言により田舎へ左遷させられる。しかし虜生はめげることなく仕事をし、都へ戻り成果をあげる。そして国の宰相にまでなる。ところがまた出世を妬んだものの密告により流刑になる。虜生はもう終わりだと思い自殺しようとする。しかし周りの人たちにとめられる。もう一度仕事を頑張ろうと思い一生懸命働いていたら、密告は冤罪だったことが明らかになる。そしてまた宰相になり大活躍をし栄養栄華を極める。子供や孫の代まで幸せは続いた。
・ 虜生は80歳のとき重い病気になった。臨終のとき自分の人生もいよいよ終わるとき、息が止まった瞬間暗い闇に落ちていくところではっと目が覚める。すべて夢だった。起きてみると、茶店で翁から借りた枕で昼寝しているところだった。翁が「夢は叶ったかな」という。虜生は「はい、夢は叶いましたが覚めてしまいました」と答える。続けて翁は「人生というのはそんなもんじゃよ」という。まだ粟飯を炊いている最中だった。一炊の夢。
この世の始中終、幻の如くなる一期なり (蓮如上人 白骨の章)
人間の生きざまというのは海に浮いた板切れや丸太ん棒にしがみついているようなもの
→ 大学 仕事 妻 子供 会社の評価 老後 これらが板切れや丸太ん棒にあたるもの
→ これらはあてにならない しがみついていても失望することが多い
→ どれだけ頑丈な板切れや丸太ん棒でも死んでいくときにはすべて離さなければならない
人生の虚しさを感じるとき、仏教の教えの出発点にたったといえる
感想
人生とはあっという間に過ぎていく。一炊の夢の物語は人生とは夢を見ていたようなものだということを教えている。夢や目標を達成するために一生懸命生きる。それがよい人生だと一般的にはいわれる。臨終の際にいい人生だったといえるように頑張る人も多いと思う。しかしそれは生きている間のことで、死んだ後のことはどうなるかわからない。必ず死がやってくるのに死んだ後のことを問題にする人はいない。
仏教では必ず死がやってくるのに、なぜ生きなければならないか、が教えられている。生きているときに果たさなければならないことがある。それが後生の一大事といわれる。生きている間に死んだ後にどこへいくのかをはっきりさせる。それが生きる目的だと教えられる。
人生はあっという間に過ぎていくが、何に時間を使うかが大事になってくる。仕事なのか家庭なのか趣味なのか。どれに時間を使うのかは人それぞれだが、仏教に時間をかけることも大事なことだと思う。
コメント