なぜ裏アカウントの悪口はバレてしまうのか?仏教が教える因果応報

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「裏アカだから大丈夫」

「匿名だからバレない」

そう思ってSNSで悪く口や誹謗中傷を書いている人もいます。

しかし実際には、裏アカウントでの発言が本人に発覚し、大きな問題になるケースは少なくありません。

なぜ裏アカウントの悪口はバレてしまうのでしょうか。

目次

裏アカウントがバレる4つの理由

①誤爆する

裏アカウントのつもりで投稿した内容に、本人しか知らない情報を書いてしまうことがあります。

・職場の出来事

・家族構成

・交友関係

・過去の出来事

こうした情報から正体が推測され、発覚することがあります。

②知人から漏れる

裏アカウントの存在を知っている友人や知人に話してしまうことがあります。

ところが、

「誰にも言わないでね」

と言っていても、別の人に伝わることがあります。

秘密を共有する人が増えるほど、発覚の可能性も高くなります。

③SNS運営や警察による特定

悪質な誹謗中傷や名誉棄損が続くと、被害者が通報する場合があります。

その結果、

・アカウント情報の開示請求

・発信者情報開示

・名誉棄損罪

・侮辱罪

などの問題に発展することがあります。

匿名だと思っていても、完全に身元を隠せるわけではありません。

④特定を趣味とする人がいる

インターネット上には、投稿内容や画像、過去の発言などから発信者を特定することを趣味としている人もいます。

本人は隠しているつもりでも、思わぬところから身元が判明することがあります。

仏教で説かれる因縁果の道理

仏教では、

因があり、縁があり、果が現れる

と教えられます。

今回の場合でいえば、

・因・・・裏アカウントで悪口を書く

・縁・・・誤爆、知人、SNS運営、特定班など

・果・・・発覚して信用を失う

となります。

結果だけを見ると突然バレたように思えますが、仏教では結果には必ず原因があると説かれています。

仏教で教えられる因果の道理について詳しくはこちら

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業力不滅の教え

仏教には

業力不滅(ごうりきふめつ)

という教えがあります。

業とは行いのことです。

善い行いには善い結果を招く力があり、悪い行いには悪い結果を招く力があります。

その力は消え去ることなく、縁が整えば結果として現れると説かれています。

お釈迦様は、

何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。  (スッタニパータ)

と教えられています。

また、

大空の中にいても、大海の中にいても山の中の奥深いところに入っても、凡そ世界のどこにいても、悪業から逃れることのできる場所はない  (ダンマパダ) 

とも説かれています。

仏教で教えられる三つの行いとは

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どうしたら悪い行いがバレずにすむのか

「どうすればバレないか」

を考える人は少なくありません。

しかし仏教では、

バレない方法を探すのではなく、悪い行いそのものをやめることが大切だ

と教えられます。

中国のことわざに、

罪を昭々に得るなきを欲せば 先ず罪を冥々に得ることなかれ

とあります。

これは、

「人に知られる罪を避けたいなら、まず人知れず罪を犯さないことだ」

という意味です。

悪い行いの連鎖に陥る苦しみ

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まとめ

裏アカウントの悪口がバレる原因には、

・誤爆

・知人からの漏洩

・SNS運営や警察による特定

・特定を趣味とする人の調査

などがあります。

仏教では、

因(行い)と縁(環境)がそろったときに果(結果)

が現れると教えられます。

悪い行いは、たとえその場では発覚しなくても、縁が整えば結果として現れます。

だから大切なのは、

「どうしたらバレないか」

ではなく、

「人に知られて困るような行いをしないこと」

なのです。

感想

人目につかないところで悪いことをしても必ずそれは表にあらわれるといいます。もし悪いことが明らかになっても隠すことばかり考えるのではなく、自分の悪い行いを改めることを考えなければならないと思いました。

江戸時代の陽明学者、中江藤樹の言葉にもこんなものがあります。「善を為すは、耕耘のごとし。当下の穀を得ざるといえども、かならず秋実を得る。悪を作すは、鴆酒を飲むがごとし。即席の燕楽を得るといえども、かならず死期来たる」これはどういう意味かというと、善行というのはあたかも汗水をながし苦労して、田畑をたがやすようなもの。すぐに穀物を収穫できないけれども、秋になればかならず実となり、自分の口にはいるのである。それに対して悪行は、毒入りの酒を飲んでいるようなもので、すぐさま酔って歓楽できるけれども毒が体中にじわじわとまわって、かならず死期が早まる、という意味です。悪いことはかならず自分に悪い結果となることをいい当てている言葉なのです。

仏教では因と縁が結びついたとき結果になると教えられます。これを因果の道理といいます。また行いには不滅の力があるといわれます。それが業力不滅。因果の道理を知ると悪いことは必ず自分に返ってくることが知らされました。人が見ている見ていないに関わらず常に悪い行いを慎もうという気持ちになりました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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