「死んだらどうなるのか」
これは古今東西、多くの人が抱いてきた根本的な疑問です。
仏教では、この問題について深く考察し、多くの高僧がその教えを明らかにしてきました。
その中でも特に重要な人物が、七高僧の第一祖である龍樹です。
龍樹菩薩とはどんな人か
龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は、西暦150年頃から250年頃に活躍したインドの大乗仏教の高僧です。
その功績の大きさから、
・第二の釈迦
・八宗の祖師
とも称えられています。
日本の多くの仏教宗派が龍樹菩薩を祖師として敬っています。
また、親鸞聖人は『正信偈』の中で龍樹菩薩を高く讃えられています。
「悉能摧破有無見」とは
親鸞聖人は正信偈に、
悉能摧破有無見
と記されています。
これは、
「有の見と無の見という二つの誤った考えを徹底的に打ち破られた」
という意味です。
ここでいう「見」とは思想や考え方のことです。
龍樹菩薩は、人間が陥りやすい二つの極端な考え方を否定されました。
有の見(常見)とは
有の見とは、
「死後も変わらない霊魂が存在する」
という考え方です。
仏教ではこれを「常見」といいます。
常見では、
・永遠に変わらない自分がいる
・不滅の魂が存在する
・死後も同じ自己が続く
と考えます。
しかし仏教では、このような固定不変の実体は存在しないと教えます。
これを「無我」といいます。
仏教の無我とは
無我とは、
「変わらない実体としての私はいない」
という教えです。
私たちの身体も心も、絶えず変化しています。
子供の頃と今では体も考え方も違います。
昨日の自分と今日の自分も同じではありません。
このように、固定不変の「私」は存在しないと仏教では説かれています。
無の見(断見)とは
一方で、
「死んだらすべて終わり」
「死後は何もない」
という考え方もあります。
仏教ではこれを「断見」といいます。
断見では、
・善悪の行いは関係ない
・死ねばすべて消滅する
・死後は完全な無
と考えます。
しかし仏教では、この考え方も誤りであると教えられます。
仏教が説く「業力不滅」
では仏教は何を説くのでしょうか。
仏教では、
「業力不滅」
と教えられています。
行いによって作られた業(カルマ)は消え去らないということです。
善い行いには善い結果が、
悪い行いには悪い結果が、
自分のやった行ないが自分に返ってくる、という因果の道理によって現れます。
固定不変の霊魂が存在するわけではありません。
しかし因果の流れは途切れることなく続いていきます。
仏教で教えられる因果の道理について

生死流転とは何か
仏教では、
因となる業が縁によってさまざまな結果を生み出しながら、生まれ変わり死に変わりを繰り返していると説かれます。
これを
生死流転(しょうじるてん)
といいます。
川の流れのように形は変っても流れそのものは続いていく。
それが私たちの存在の姿だと教えられています。
仏教の目的は生死流転からの解脱
お釈迦様が説かれた仏教の目的は、
生死流転を繰り返す迷いの世界から離れることです。
つまり、
「人は死んだらどうなるのか」
という問題に終止符を打ち、
根本的な安心を得ることにあります。
そのため仏教では、
・永遠の霊魂があるという「有の見」
・死んだら無になるという「無の見」
この両極端を離れた中道の教えが説かれています。
後生の一大事の解決をすることが最も大切

まとめ
龍樹菩薩は、
「有の見」と「無の見」という二つの極端な思想を打ち破られました。
仏教では、
・永遠不変の霊魂は存在しない(無我)
・死んだらすべて消えるわけではない(業力不滅)
と教えられています。
そして、生死流転の苦しみから解放されることこそが仏教の目的です。
龍樹菩薩の教えは、「人は死んだらどうなるのか」という根本問題を考える上で、今なお大きな示唆を与えてくれています。
感想
龍樹菩薩とはとても偉大な方だった。第二釈迦とも八宗の祖師ともいわれます。親鸞聖人も尊敬されている方だが、僕自身はまったく知りませんでした。
死んだ後は霊魂になるのかそれとも死後はないのか。僕自身は霊魂というものがあると思っていたが、仏教では間違っていると説かれています。そのことに驚きました。また死後は無いという思想も仏教では否定します。
仏教では不滅の業力が縁と結びついたり離れたりしながら次から次へと形を変えて流転していくと教えられます。その思想にとても衝撃を受けました。そんなことは誰からも聞いたことがないし、どの本にも書かれていなかったことだからです。
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