祟りや方角のせいか
仏教では因果の道理が教えられている。
行いが原因となって運命という結果が生じると教えられる。道理というのは、いつでもどこでも変わらない宇宙の真理ということ。
善因善果 悪因悪果 自因自果
善い行いは善い運命を生じさせ、悪い行いは悪い運命を引き起こす。善いのも悪いのも自分のまいた種が自分の運命となって現れる。
しかし結果となって返ってくるのには時間差がある。
すぐに返ってくるものから時間が経ってから返ってくるもの、とうに忘れたころに返ってくるものがある。
人に親切して、すぐにあの人はいい人と言われることもあれば、人に親切したけれどもぜんぜん返ってこない。ところが3年、4年経ってみるといつしか信頼されてその人は大事な仕事を任されることもある。
10年、20年前の完全に忘れていることが今返ってくることもある。
米のように春にまいたら秋に収穫というようにその年中に結果が出るものがある。あるいは麦のように一冬越した翌年に結果がでるものもある。
桃栗3年柿8年という言葉のように柿は8年経たないと結果がでないものもある。
しかし、まいた種は必ず返ってくるのだから焦ることなくただまき続ければいい。

果報は寝て待て
仏教では因果の道理は三世を貫いて教えられます。
三世とは過去世、現在世、未来世のことをいいます。
私たちが生まれてから死ぬまでの80年から100年の命というのはほんの短い間です。
実は現在世の前には、前世、前前世、前前前世ずっと生まれ変わりを重ねてきて今がある。その長い過去を多生ともいう。
私たちはやがては死にますが、死んだ後も来世がありその次の生、次の次の生とずっと続きます。
その三世を因果の道理は貫いていると教えるのが仏教です。
今まいた種が今生に返ってくることを順現業といいます。
今生まいたものが次生に返ってくることを順次業といいます。あるいは前生にまいたものが今生に返ってくることも同じです。
今生にまいたものが次の生でも次の次の生でも返ってこない。3回、4回生まれ変わったときに返ってくることを順後業といいます。
善いことをしてもそれが今返ってこないというのは、すごく近視眼的な見方になっている。いつ返ってくるか気にせずに、善い種をまけばいい。それは必ず返ってくるのだから。
それを諺で果報は寝て待てという。
善い運命は寝て待て。これはゴロゴロして怠惰にしていろという意味ではなく、一生懸命善い行いをしていればやがて結果は返ってくるのだから慌てなくていい。
コツコツ善い種をまいていればそれでいい。結果が返ってこないからといって自暴自棄になれなくてもいいということ。
覚えていない行いも返ってくる
善い行いをしていれば善い結果が返ってくるが、同時に悪いこともたくさんしている。
悪い結果が返ってくることもある。
今日善いことをしても今日返ってこずに、いつかした悪いことが今日返ってくるんこともある。
例えば、10年前から暴飲暴食してカップラーメンばかり食べていた人が、今年から健康に気をつかって運動したり野菜中心の食事に心がけた。しかし人間ドックで生活習慣病と言われた。
それは最近は健康的な生活を心がけるようになっても、過去10年間の不摂生な生活があるからか健康になれない。
だからといって今の健康的な生活が無駄なわけではない。それは必ず結果となって現れる日が来る。
人間はたまにやる善い行いはよく覚えているが、普段やっている悪いことを忘れていることが多い。人に傷つけることを言うことは悪い行いだから悪い結果がくるが本人に自覚はない。
自覚があろうが、なかろうが、人を傷つけることを言ったら悪い結果を引き起こすと仏教では教えられます。

感想
善い行いをすれば必ず返ってるから慌てずにコツコツまき続けることが大事だという。善い行いをしてもすぐに返ってこないと、やっても意味なかったかなと思ってしまうが結果が返ってくるには時間差がある。
すぐに返ってくるのもあれば、一年後に、あるいは三年後や八年後という場合もある。このことを知っているのと知らないとではずいぶん心持ちが違ってくる。
それに、たとえ時間差があってもやった行ないは必ず自分に返ってくることも、知っているのと知らないとでは大きな差になる。
これは仏教を学んでいないと絶対に知ることのないことで、幸せな人生をおくるために必要な智慧だと思う。因果の道理を知ったなら、あとは実践あるのみ。
善い行いをたくさんして善い運命をたぐりよせたい!
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