要約
煩悩具足の凡夫 = 煩悩の塊が人間 = すべての人たち
生死輪転 苦しみ悩みが果てしなく続くさま 流転輪廻ともいう
惑業苦 煩悩によって悪業を造る → 悪業によって苦しみを受ける → 苦しいから怒る 妬む憎む また煩悩を造る → また悪業によって苦しむ・・・
阿弥陀仏の本願
→ 煩悩具足の我らを助ける約束
弥陀に救いとられたこと
→ たのむ
→ 帰する
→ 信ずる
→ 信心獲得
平生の一念で救われる
往生の正因 信心獲得すること 信心を頂くこと
自力 = 疑情
→ 弥陀の本願を疑っている心
→ 善をして助かろうと思う心
→ 念仏称えて助かろうとしている心
たのむ一念で自力の心がなくなって他力をたのみたてまつる身になったことを信心という
感想
浄土に往くためには信心獲得しなければならない。悪人だとか善人だからというのは関係ないという。すべての人は煩悩具足の凡夫であるから、煩悩によって悪を造り続けている。だからすべての人は悪人だといわれる。
仏教を学んでいないときは、自分が悪人だなんて思わなかった。犯罪もしていないし善人だと思っていた。だから弥陀に救われなくても大丈夫だという気持だった。しかし、聴聞を重ねるにつれ人間とは煩悩の塊だということが分かってくる。また、煩悩から悪を造ってしまうことも分かってくる。そうなるとすべての人が悪人であるということもわかる。これは仏教を学び続けないとわからないことだと思う。だから阿弥陀仏の本願が必要になるという結論になる。
仏教はとてもロジカルな教えで、一つ一つの教えを積み上げていけば阿弥陀仏の本願に救われるための教えだということがわかってくる。
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