要約
お釈迦さまの言葉に「一切は因縁生なり」というのがある
→ 万物は因縁によって生じるという意味
因と縁が揃ったとき(因縁和合)に現れたもの
子どもがいるから父親という存在がある 父親がいるから子供という存在がある
因 A男
縁 子
果 父親
すべては関係性の中で生じるもの 関係性の中で生じた役割に生きる意味を感じて一生懸命生きている
しかし、夫という役割や父親という役割は、離婚や子供の死別などで役割がなくなり、ただの男となってしまうこともある
インドのヒンズー教(バラモン教)にはカースト制というものがあった
バラモン 僧侶
クシャトリヤ 貴族や武士
ベイシャ 一般庶民
シュードラ 奴隷階級
バラモンに生れた人は社会をよい方向へ導く使命を持っているから、誇りを持ちやすい。シュードラに生れた人はなぜこんな階級に生れたのかと生きる意味を見出せない。しかし、シュードラの中でもいい奴隷になれば評価されそこに生きる価値を見出す人もいた。
今日の日本では奴隷階級はないが、サラリーマンが会社の中で期待されるようになることが、人生の目的のようになっている。しかし、会社の中で期待される課長や部長という役割は因縁が揃ったときだけのもの
因 A男
縁 〇〇会社
果 課長 部長
会社を退職あるいはリストラになると、生きる意味を見失ってしまう。社会的立場とは因縁揃ったときにできたもので、実は実体のないものといえる
因縁揃ってできた肩書をすべてなくしたとき、自分に残る存在価値とは何かわからない
仏教では、すべての関係性でできた肩書きを取り払って残った、本当の自分とは何か、が教えられている
人身受け難し、今已に受く (お釈迦さま)
→ 生まれ難い人間に生れたということは、何の肩書きも持たなくても素晴らしく価値がある
人間の普遍的な価値があることが教えられているのが仏教
感想
すべてのものは因縁揃ったときに生じるもの。すべてのものとの関係性の中で生じた役割の中で、生きる意味を見出している。
関係性の中で生じた役割の一つにすがっていると、それがなくなった場合自分自身の存在理由がわからなくなってしまう。それを学生時代観た、TV版「新世紀エヴァンゲリオン」の第26話「世界の中心でアイを叫んだもの」の中に描かていて共感した。その当時は僕自身が学校の部活を辞めてしまい、自分の存在理由がなくなってしまった。部活ではレギュラーで中心的な存在だっただけに、辞めた後そう感じた。それからは自分に自信が持てず、対人関係がうまくいかずにずっと悩んでいた。しかし、社会人になってから働くことで関係性をつくることができ、自信を取り戻せた。
仏教ではすべての関係性を取り払っても自分に価値があることが教えられている。それが人身受け難し今已受くという言葉だという。生まれ難い人間に生れてよかったといえる身になれるなら、なりたい。それが仏教に教えられているなら、学びつづけたい。
仏法は聴聞に極まる。
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