要約
救世菩薩の夢告または女犯の夢告
親鸞聖人29才のとき 法華経の教えでは救われないと悟られる
→ 比叡山を降りられてから100日の祈願を京都の六角堂でされた
なぜ、100日間も祈願されたか?
→ 後生の一大事の解決をしたかったから
後生の一大事とは
→ 死んだらいったいどこへ行くのか、死んだら私はどうなるのか
一息追がざれば 千載に長く往く (中略) 直に出離をねがうべし。 (親鸞聖人)
→ こんな煩悩に振り回されて一歩も進めない私が、一息切れたらならば長い長い間苦患に沈まなければならない
出息入息 不待命終
→ 吸う息吐く息に死が触れ合っている
100日の祈願の95日目まで終わったその夜明に女犯の夢告という夢のお告げを受けた
→ 救世菩薩が、もしあなたが女性と交わりを結ぶときは、私が玉女という女になりましょうと告げられた
→ ありのままで救われるということを表明された夢のお告げ
親鸞聖人は法然上人とで遇わられ、ありのままで救われるのは阿弥陀仏の本願だと知らされる
感想
親鸞聖人が比叡山を降りられたのは、山の修業では後生の一大事の解決ができないからだった。下山されて六角堂で100日の祈願をされているとき、夢告があった。一般庶民が普通の生活をしていて夢告があることなどない。僕自身も見たことはない。特別な修行をした人でなければ夢告を見ることはないだろう。
親鸞聖人は法然上人とで遇わられ阿弥陀仏の本願を知られる。阿弥陀仏の本願によって後生の一大事の解決をされた。法然上人とので遇いは運命的で必然的でもあった。
人生が変わる出会いは誰でもあると思うが、その出会いが人生にとってよい方向に向くものを選びたい。
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