『なぜ生きる』

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書籍

著者 高森顕徹(監修) 明橋大二 伊藤健太郎

昭和4年、富山県生れ。龍谷大学卒業。

日本各地や海外で講演、執筆など。

著書『なぜ生きる2』『光に向かって100の花束』『歎異抄をひらく』『親鸞聖人の花びら』など多数。

「辛抱して生きつづけること」それが人生の目的なのか?

”人生の目的は生きること”という主張を検証してみましょう。これを「忍耐して、生きつづけることが大切だ」と解釈すれば、「そう、何ごとも辛抱が肝心。大事なのは生きること」「一度きりの人生だから、生きることにこそ価値がある」と共感する人も少なくないでしょう。「人生に意味なんてあるのだろうか」と元気のない人でも、「生きている、それだけで人生には意味があるのだよ」と聞けば、慰められるかもしれません。

しかし、「苦しいのに、なぜ生きねばならぬのか」と悩んでいる人は「生きることが人生の目的」と言われても失望するだけではないでしょうか。

僕自身も人生に意味があるのかを考えたことがある。それは学生時代の頃だったが、本や映画をたくさんみて人生の意味の答えを探したことがあったが結局はわからなかった。

それから社会人になってからは人生の意味を探すより、どう生きるか、ばかり考えるようになった。どうしたら仕事で評価を得られるか。どうしたら人とうまくやっていけるか。どうしたら幸せな人生をおくれるか、など。

人生の目的は、「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることである」

人はなんのために生まれ、生きているのだろうか。なぜ苦しくても自殺してはならぬのか。「人生の目的」とは何か。親鸞聖人の答は、ゆるぎなき確信と勇気を持って、簡潔であざやかである。(中略)「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ」

人生とは、苦しみの波の絶えない海、のことだと親鸞聖人はたとえられた。その海を明くるく楽しくわたす大船に乗ることが人生の目的だという。

そんな大船がどこにあるのか、という疑問がわいてくるが、それは弥陀の誓願のことをたとえた表現であって実際にあるわけじゃない。弥陀の誓願とは”すべての人を必ず信楽の身にしてみせる”というお約束です。

その”信楽”とは現代の言葉では”絶対の幸福”と言い、浄土往生間違いない身になることです。だから親鸞聖人がいう人生の目的とは、浄土往生間違いない身になることだといいます。

「なぜ生きる」の扉を開くカギ

親鸞聖人は、無明の闇が晴れ、人生の目的の完成した世界を、「一念」と表現される。(中略)「『一念』とは、無明の闇のなくなった心をいう」

「闇」が晴れれば、明るくなる。いままで見えなかったものが、すっきり見える。無明の闇が破れると何がハッキリするのか。

「自己の真実」と「弥陀の誓願」の二つである。(中略)親鸞聖人の説く弥陀の救い(一念)とは”本当の自分”を知らされる「機の深信」と”弥陀の誓願まことだった”と知らされる「法の深信」のことである。

無明の闇が破れるとはっきりするのが「機の深信」と「法の深信」だという。それは、「絶対に救われることのない極悪最下の自分である」ことと「この世も未来も、絶対の幸福に救い摂るという、弥陀の誓願まことだった」ことがはっきりすることです。

無明の闇が破れるまで何をすればいいのかというと、山にこもって修業したり、坐禅を組んで瞑想するのでもなく、ただ仏法を聞き続けることが大事です。

それで昔から”仏法は聴聞に極まる”と教えられます。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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