親鸞聖人から代々伝わってきた浄土真宗の教えの中で、最も重要なのは信心(他力の信心)です。
浄土真宗では、この信心を
・他力の信心
・真実信心
・信心獲得
・一念の信心
・往生治定
などと表現します。
これらはすべて、阿弥陀如来からいただく信心を指しています。
他力の信心とは何か
他力の信心とは、自分の努力や修行によって得るものではありません。
阿弥陀如来が
「どんな人でも必ず救う」
と誓われた本願をツユチリほどの疑いもなくなった心です。
この信心は私たちが作り出すものではなく、阿弥陀如来から与えられるものなので「他力の信心」といわれます。
信心獲得すれば浄土往生は定まる
親鸞聖人は、浄土往生が決まる要は信心一つであるあと教えられました。
信心を獲得した人は、
・善人であっても
・悪人であっても
・男性でも女性でも
・若くても年老いていても
すべて等しく浄土往生が定まります。
十人いれば十人、百人いれば百人、信心を獲得した人は例外なく阿弥陀如来の浄土に往生できるのです。
「歎異抄」第一章に示された親鸞聖人の教え
親鸞聖人の教えを簡潔にまとめたものとして、『歎異抄』の第一章があります。
そこには、
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて
と示されています。
つまり、私たちが浄土へ往生できるのは、自力の修行や善行の力ではなく、想像を絶する阿弥陀如来の本願力によるということです。
親鸞聖人の教えの核心は、この他力の救いにあります。
『歎異抄』で教えられている阿弥陀仏の本願についてはこちら

「たのむ一念」で往生は定まる
浄土真宗では、
「阿弥陀如来の本願にまかせる」
一念のとき、往生が定まると教えられています。
これを「往生治定」といいます。
往生治定とは、
「必ず浄土へ往って仏になることが決定した身」
になることです。
この決定は私たちの力によるものではなく、
阿弥陀如来の本願力によって定められるのです。
「弥陀にたのむ」とはどういうことかについて

信心獲得後の念仏の意味
浄土真宗では、念仏を称えたら救われるのではありません。
まず阿弥陀如来から信心をいただき、そのお礼として念仏が称えられるのです。
親鸞聖人は、
念仏は行者のために非ず
と教えられています。
信心獲得後の「南無阿弥陀仏」は、
「私の往生を定めてくださりありがとうございます」
という報恩感謝の念仏です。
救われるための念仏ではなく、救われた喜びと感謝から自然に称えられる念仏なのです。
信心獲得についてはこちらも

まとめ
親鸞聖人の教えの中心は、阿弥陀如来の本願力によって与えられる他力の信心です。
・浄土往生の要は信心一つ
・信心獲得した人は必ず浄土往生できる
・往生は阿弥陀如来の本願力によって定まる
・念仏は救われるためではなく報恩感謝
この「他力の信心」こそ、『歎異抄』第一章にも示された親鸞聖人の教えの核心であり、浄土真宗の要となる教えなのです。
感想
浄土真宗と他宗派の決定的な違いは他力信心を知っているか知らないかの違いだといいます。他力信心とは阿弥陀仏の本願のことで救われると浄土往生間違いない身にさせていただくことだとわかりました。
浄土往生間違いない身になるということは、老いや病や死がきても崩れない幸せのことです。死んだ後、どこにいくのかがはっきりとすることは、後生の一大事の解決ともいいます。死んだ後も幸せになれると定まること、これが仏教の目的で、生きる目的でもあると仏教では教えられる。
僕自身は、後生の一大事の解決を目指しつつ、人生を楽しく生きられるようになりたいと思っています。仏教の教えの中には善い運命にするための法則や人間の実相、本当の自己の姿などが学ぶことができます。学び始めると、とても面白く自分の人生観が変わることになりました。
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