生きる目的とは何か?「どう生きるか」より大切な仏教の答え

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テレビでは、無人島や砂漠で生き抜くサバイバル番組が人気です。

砂漠で一週間生活する企画などを見ると、参加者はまず何をするでしょうか。

目次

サバイバル生活で最初にやること

初日に最優先するのは、次の二つです。

水場を探すこと

安全に眠れる場所を確保すること

水がなければ生きていけません。

また、夜に肉食獣に襲われず、寒さをしのげる場所を見つけなければ命に関わります。

翌日になると、食料を確保するために狩りや採集を始めます。

さらに長く快適に暮らすためには、

・集団で生活する

・協力して働く

・社会的な評価を得る

・娯楽を楽しむ

といったことも必要になってきます。

私たちは「生きること」に必死になっている

サバイバル番組を見ていると、人は生きるために懸命に努力することがわかります。

しかし、ここで一つの問題が湧きます。

「何のために生きるのか」

私たちは毎日、

・どうすれば生活できるか

・どうすれば収入を増やせるか

・どうすれば健康でいられるか

という「どう生きるか」は一生懸命考えます。

しかし、

「どこへ向かって生きているのか」

を真剣に考える機会は少ないのではないでしょうか。

「なぜ生きるのか」について深く考察された本はこちら

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生きがいと生きる目的は違う

「私の生きる目的は家族です」

「仕事です」

「スポーツです」

「芸術です」

このように答える人は多いでしょう。

確かに、

・家族

・仲間

・仕事

・趣味

・スポーツ

・芸術

は生きる力になります。

しかし仏教では、これらは生きる目的ではなく、生きがいと考えます。

生きがいとは、生きる支えや励みになるものです。

目的を達成したときには大きな喜びがあります。

しかし、その喜びは永遠には続きません。

達成感のあとに、空しさや失望を感じることもあります。

だからこそ、生きがいだけでは人生の根本的な答えにはならない、と仏教では教えられています。

太宰治が語った「生きる希望」

太宰治は小説の冒頭で、こう書いています。

死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 

「夏まで着物を着たい」

その小さな希望が、生きる力になりました。

人間は、未来に希望の光を見つけると、生きようとする力が湧いてくるのです。

仏教が明らかにする生きる目的

では、本当の生きる目的とは何でしょうか。

親鸞聖人は『教行信証』に、

難思の弘誓は難度の海を度する大船

と教えられています。

人生は苦しみの海です。

思いどおりにならないことが多く、老い・病・死を避けることはできません。

その苦しみの海を必ず渡しきる大きな船が、阿弥陀仏の本願であると説かれています。

さらに親鸞聖人は、

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば

とも教えられています。

「大悲の願船」とは、阿弥陀仏の救いです。

そして「光明の広海」とは、阿弥陀仏の願力によって、決して捨てられることのない幸せ、摂取不捨の利益絶対の幸福になったことを表しています。

仏教では、この願船に乗せていただき、絶対の幸福に至ることこそが、生れてきた本当の目的であると教えられるのです。

阿弥陀仏の本願に救われることについてはこちら

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まとめ

私たちは「どう生きるか」には多くの時間を使います。

しかし、それ以上に大切なのは、

「何のために生きるのか」

という問いです。

家族や仕事、趣味は人生を支える大切な生きがいですが、永遠に続くものではありません。

親鸞聖人は、苦しみの人生を必ず渡しきる阿弥陀仏の願船に乗り、絶対の幸福に至ることこそ、生れてきた本当の目的であると教えられました。

「どう生きるか」だけでなく、「何のために生きるのか」を知ることが、人生の根本的な安心につながるのです。

感想

感想

何のために生きるのか。生きる目的とは何か。それをあきらかにしたのが親鸞聖人だといいます。仏教をよく聞かなかければわからないことです。生きる目的を生きがいと混同しがちだがそれは明確に違うとわかりました。生きがいとは、どう生きるか、であり生きる目的は、なぜ生きるか、の違いです。

親鸞聖人は人生を海にたとえられました。苦しみの海にいる私たちを明るく楽しく渡す、大きな船があるといわれます。この船に乗ることが生れてきた目的だと教えられています。この船に乗ることができれば、死んだら浄土往生が決まる。そこまで聴聞を続けていきたいです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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