「方便」という言葉は、日常では「その場しのぎの手段」や「うまい言い訳」」という意味で使われることがあります。
しかし、仏教でいう方便は、そのような意味ではありません。
方便とは、仏が私たちを真実へ導くための慈悲のはたらきをいいます。
この記事では、方便の意味と、真実との関係について、親鸞聖人や蓮如上人の教えをもとに分かりやすく解説します。
方便とは何か
仏教でいう方便とは、
真実に近づけ、真実を納得させるために必要不可欠な教え
のことです。
つまり、方便そのものが目的ではありません。
真実へ導くための道しるべなのです。
そのため、
・真実と方便は切り離せない関係
・真実を明らかにするために方便が説かれる
という特徴があります。
真実と方便は一対である
仏教では、
真実と方便は常に一対
であると教えられています。
つまり、
・真実から流れ出たものが方便
・仏が真実を知らせたいという慈悲から方便が説かれる
ということです。
したがって、
真実に無関係な方便はありません
また、
方便に無関係な真実もありません。
方便は、常に真実へ導くために説かれた教えなのです。
従仮入真とは
仏教には、
従仮入真(じゅうけにゅうしん)
という言葉があります。
これは、
・仮=方便
・真=真実
という言葉です。
つまり、
方便から真実へ入ること
を表しています。
仏は最初から難しい真実をそんまま説かれるのではありません。
私たち凡夫が理解できるように、段階を踏みながら導いてくださるのです。
これが方便の役割です。。
阿弥陀仏とお釈迦さまの願い
阿弥陀仏も、お釈迦さまも願われていることは一つです。
「すべての人を真実の世界へ導きたい」
ということです。
その真実とは、
・他力信心
・無碍の一道
・絶対の幸福
・凡夫直入の信心
を獲ることです。
方便は、この真実へ導くために説かれています。
阿弥陀仏の本願についてはこちらも

蓮如上人が教えられた方便の大切さ
蓮如上人は次のように教えられています。
方便を悪しということは有る間敷なり。方便を以て真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる
このお言葉には、
「方便を軽んじたり、不要だと考えてはならない」
という意味があります。
なぜなら、
阿弥陀仏、お釈迦さま、そして善知識の善巧方便によって、私たちは真実の信心をいただくことができるからです。
弥陀・釈迦の方便とは
では、具体的な方便とはなんでしょうか。
阿弥陀仏の方便
阿弥陀仏の善巧方便として説かれるのが、
第十九願(修諸功徳の願)
です。
これは、自力の修行を勤めながら、最終的には本願へ導くための方便とされています。
お釈迦さまの方便
お釈迦さまは、一生をかけて八万四千の法門を説かれました。
しかし親鸞聖人は、
八万四千の法門は、みな是れ浄土の方便の善なり。これを「要門」という、これを「仮門」と名けたり
と教えられています。
つまり、多くの教えは、それ自体が最終目的ではなく、
浄土真宗の真実へ導くための方便
として説かれたものなのです。
方便の目的は真実へ導くこと
方便は仮の教えですが、
「仮だから価値がない」
という意味ではありません。
むしろ、
真実へ導くために欠かすことのできない教え
です。
だからこそ、
方便を正しく理解することで、真実の教えがより鮮明になります。
まとめ
方便とは、
仏が私たちを真実へ導くために説かれた慈悲の教えです。
真実と方便は切り離すことができず、
「従仮入真(方便から真実へ入る)」
ことが仏教の学びの大切な道筋です。
蓮如上人が教えられるように、阿弥陀仏・お釈迦さま・善知識の善巧方便によって、私たちは真実の信心へ導かれます。
親鸞聖人は、八万四千の法門もまた浄土へ導く方便であると明らかにされました。
方便を正しく理解すると、その先にある阿弥陀仏の本願と他力信心という真実が、より深く理解できるようになるのです。
感想
方便と聞くと、嘘も方便、という言葉を思い出しますが仏教で教えられる方便とは、真実に近づけるための教えだと教えられます。真実だけを教えてもわからないから、方便を先に教えるといいます。
僕自身、いきなり他力信心や無碍の一道、絶対の幸福があるといわれてもわかりませんでした。そんな世界本当にあるのかと疑ってしまうし、仏法を聞くことも続かなかったかもしれません。因果の道理や、六度万行、三世、三毒の煩悩、などの教えを知ったから阿弥陀仏の本願があることが知らされました。
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