要約
親鸞聖人 35才のときに越後に流刑になる
法然上人 75才で四国の土佐へ流刑になる
→ 承元の法難 法然上人と親鸞聖人が比叡山と興福寺に向って間違えだと声をあげた
比叡山 興福寺
→ 財力
→ 権力 公家や貴族や天皇家の後ろ盾がある
→ 武力 僧兵
親鸞聖人はどういう点に間違いだと声をあげたか?
→ 比叡山や興福寺はどういう人が浄土に往けるかというと戒律を守る僧侶、寄進する公家だと説いていた
→ 庶民や武士は救われないと説いていた
→ 公家のための加持祈祷や出世と病気を治すための仏教になっていた
法然上人 吉水の草庵
→ 一般庶民が救われるのが本当の仏教と説いた
親鸞聖人や法然上人は比叡山で修行学問をした
→ 比叡山や興福寺は間違っていると声をあげたことを恩知らずと非難した
→ 親鸞聖人は本当の仏教を知って欲しいと声をあげた
誠に仏恩の深重なるを念じて人倫の哢言を恥じず (親鸞聖人)
感想
親鸞聖人の時代に比叡山や興福寺に間違いだと声をあげることが、どれほど恐ろしいことだったかがわかった。そうとうな覚悟が必要だったし、流刑になってしまったことはどれほど辛かったことだろうか。
僕自身は前の職場でパワハラのようなことをされている同僚をみたことがあるが、そこでそれはパワハラだと声をあげることはできたなかった。そこで声をあげたなら自分の立場が危うくなるし、自分が攻撃されたら嫌だったからだ。だから見て見ぬふりしかできなかった。自分の無力さを感じたときだった。
もし、親鸞聖人が非難に屈していたら現代で正しい仏教を知ることはなかった。そう思うと感謝の気持ちが湧いてくる。
その感謝の気持を持ちながら、今度は僕が少しでも正しい仏教の魅力を伝えられたらと思っている。
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