人間はなぜ残酷になれるのか?仏教が明かす人間の本当の姿

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人間には二種類の暴力がある

暴力というと、怒りにまかせて相手を傷つける行為を思い浮かべる人が多いでしょう。

例えば、

・DV(家庭内暴力)

・虐待

・暴言

・傷害事件

などは、感情が爆発して起こる感情的な暴力です。

しかし、人間にはもう一つの暴力があります。

それが計画的な暴力です。

例えば、

・処刑

・復讐

・戦争

・大量虐殺

などは、感情だけではなく、目的を持って計画的に行われます。

野生動物は縄張り争いや子どもを守るために戦いますが、相手を絶滅させるために戦争を計画することはありません。

このような計画的な暴力は、人間に特有の姿だといえるでしょう。

私たちは毎日のように殺生に関わっている

仏教では、生き物の命を奪うことを殺生といいます。

牛、豚、鶏、魚など、多くの動物は食用として命を絶たれています。

もちろん、自分で手を下していないから関係ない、と考える人もいるでしょう。

しかし仏教では、そのようには考えません。

仏教が説く三つの殺生の罪

仏教では、殺生にはさまざまな関わり方があると教えられています。

⒈自殺

自分で生き物を殺すこと。

⒉他殺

他人に命じて生き物を殺させること。

⒊随喜同業

人が殺生しているところを見て喜ぶこと。

殺された動物の肉を「美味しい」と喜んで味わうこと。


この教えは「食べてはいけない」と単純に禁止するためではなく、自分の生活が多くの命の犠牲の上に成り立っていることを深く見つめるために説かれています。

親鸞聖人が見つめられた人間の姿

親鸞聖人は、人間の心について次のように語られています。

さるべき業縁のもよおせば 

如何なるふるまいもすべし

これは、

「因縁が整えば、人はどのような行為でもしてしまう存在である」

という意味です。

「私は絶対に犯罪など犯さない」

「私はそんな残酷なことはしない」

と言い切れる人はいません。

環境や条件が変われば、自分でも想像もできない行動をとる可能性があることを、親鸞聖人は教えられました。

心理学者ユングも人間の悪を見抜いていた

心理学者のユングも、人間の心について次のように述べています。

疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ

ユングは、人間の心の奥深くには、自分でも気づいていない「影(シャドウ)」が存在すると考えました。

これは仏教が説く煩悩とも通じる考え方です。

仏教は人間を責める教えではない

仏教は、

「人間は悪い存在だから絶望しなさい」

と教えているのではありません。

自分の心の中にある悪を正しく知ることで、本当の救いを求める心が生まれると教えています。

親鸞聖人が見つめられたのは、特別に悪い人ではなく、私たち一人ひとりの心でした。

人間の本当の姿を知ることが、仏教を学ぶ第一歩なのです。

私たち悪人が救われるには阿弥陀仏の本願しかない

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感想

人の中に悪の親玉が棲んでいるということがわかりました。だからどんなに悪いことでも縁がきたらしてしまうと親鸞聖人が告白されていることに驚きました。

普通の人が大量虐殺することを命じられたら普通に実行してしまう。とても信じられないが、縁がきたら誰でもやってしまうことだといいます。

仏教で説かれる殺生罪とはすべての人にあてはまる。そこが世間一般の殺生罪と違うところだと思います。仏教の殺生罪を知ると、人間は悪ばかり造っていることを知らされる。因果の道理に当てはめると、悪因悪果で悪い運命しかないことがわかる。ということは人間は地獄行きしか道はないように思えました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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