要約
生きる意味はあるのか?
人生が楽しいときは意味を考えない 人生が苦しいとき意味を求める
働くのが楽しいときはいい 働くことが辛いとき、働く意味を考える
→ 人間の人間らしさとは意味を考えるところにある
なぜ、必ず死ぬのに生きなければならないのか?
仏教では人生を難度海といわれる 人は難度海を泳ぎ続けている
海を泳ぐ泳ぎ方のコーチ
→ 政治 経済 医学 科学
→ 波を乗り越えるためにはどうすればいいかを教えてくれる
しかし、人は必ず泳ぎ疲れて溺れて死んでしまう
なぜ、泳ぐのか? どごに向って泳ぐのかをすべての人は知らない
泳ぐことに意味はあるのか?
仏教では救助の大船があると教えられる
難度の海を度する大船 (親鸞聖人)
大悲の願船に乗ると光明の広海に浮かぶといわれる
人身受け難し、いますでに受く
→ 生まれ難い人間に生れて良かったと思える
感想
人生が上手くいっているときは、人生の意味を考えない。上手くいっていないとき意味を考えるという。順境のときはいいが逆境のとき、つまり苦しみがやってきたとき、なぜこんなことをしなければならないのかと考えてしまう。
学生時代、フェデリコ・フェリーニ監督の「81/2」という映画を観たとき、主人公が苦しみの中で人生とは何かを言及するシーンがあった。それは「人生は祭りだ。共に生きよう」というセリフで、そこから映画は大団円に終わった。そのセリフを聞いたとき、人生の意味がわかったような気がした。が、それは映画を観終わったときだけで、そのあとは人生は祭りだと思えず何のために生きているのかわからず過ごしていた。
仏教では人生を難度海にたとえられている。その海に大きな救助の船があるから早くその大船に乗りなさいと説かれている。その大船に乗ることが生きる目的、生きる意味だと教えられる。
仏法は聴聞に極まる。
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