葬儀の本当の意味とは?親鸞聖人が教える「聞法の場」

当ページのリンクには広告が含まれています。

蓮如上人は『白骨の章』に、人生のはかなさを次のように記されています。

既に無常の風来りぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。

人はどれほど健康であっても、どれほど財産や地位を持っていても、いつか必ず死を迎えます。死は誰にも例外なく訪れる現実です。

目次

葬儀で人は人生を見つめ直す

葬儀に参列すると、多くの人は普段とは違う気持ちになります。

「人生は短いな」

「自分もいつかは死ぬんだ」

と、真剣に人生を考えるようになります。

しかし現実には、

・葬儀の規模

・香典や返礼品

・世間体

・見栄や打算

・親族との利害関係

などに気を取られ、本当に大切なことを見失ってしまうことも少なくありません。

本来の葬儀とは「仏法を聞く場」

浄土真宗では、葬儀は亡くなった人のためだけの葬式ではありません。

生きている私たちが仏法を聞く「聞法(もんぽう)の場」です。

亡くなった方が最後に私たちへ伝えてくださるメッセージは、

「あなたも必ず死ぬ身ですよ」

という無言の教えです。

だからこそ、葬儀では死を恐れて終わるのではなく、

「私はどのように生き、死を迎えるか」「死んだらどこへいくのか」

を仏教から学ぶことが大切なのです。

仏教で最も大切な教えとは

あわせて読みたい
後生の一大事とは?仏教で「人生で最も大切なこと」と教えられる理由 人生で本当に一番大事なことは何か 私たちは毎日、さまざまな悩みを抱えて生きています。 ・物価高への不安 ・老後のお金 ・南海トラフ地震への備え ・原発問題 ・健康...

親鸞聖人が出家された理由

親鸞聖人は幼くして両親を亡くされました。

・4歳で父を亡くす

・8歳で母を亡くす

両親の死を目の当たりにし、

「次は自分が死ぬ番ではないか」

「死んだら人はどこへ行くのだろう」

という人生最大の疑問を抱かれます。

そして9歳で比叡山へ入り、出家されました。

親鸞聖人は次のような言葉を残されています。

いたずらに すぐる月日は 多けれど 法を求むる ときぞ少なき

毎日はあっという間に過ぎていくのに、人生で最も大切な仏法を求める時間は、あまりにも少ないという嘆きです。

生きている間に聞法することが大切

親鸞聖人は晩年、

親鸞閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし

と言われました。

これは、自分の遺体を立派に供養してほしいという意味ではありません。

亡くなった後の形式よりも、生きている間に仏法を聞き、本当の幸せになることの方が何より大切である、という教えです。

葬儀は亡き人を偲ぶだけではなく、自分自身の人生を見つめ直す貴重な機会でもあります。

人生には限りがあります。

だからこそ、生きている今、仏法を聞き、後悔の無い人生を歩むことが最も大切なのです。

親鸞聖人が教えられた平生業成とは

あわせて読みたい
親鸞聖人が教えた本当の幸せとは?仏教の「平生業成」と無明の闇をわかりやすく解説 「今のままで本当に幸せなのだろうか…」 そんな不安を感じたことはないでしょうか。 お金や生きがいを手に入れても、どこか満たされない、虚しさが残る。 仏教では、そ...

感想

葬式で大事なこととは仏法を聞くことだという。普段はどう生きるかしか考えていないが、仏法を聞き、死を見つめることが大事だといいます。

葬式にでると悲しい気持ちになるのと亡くなった人への感謝する気持ちも生まれます。最後のお別れをする場だと思っていましたが、それで終われせてはならないこともわかりました。

動画

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

コメント

コメントする

目次