仏教にはさまざまな宗派がありますが、大きく分けると「聖道仏教」と「浄土仏教」の二つに分類できます。
この二つは、目指す悟りだけでなく「人間とはどのような存在か」という見方にも大きな違いがあります。
聖道仏教とは
聖道仏教とは、自らの修行を重ねて悟りを目指す教えです。
人間には本来、仏になる可能性である仏性が備わっていると考え、、その仏性を修行によって磨き上げていきます。
煩悩は鏡についたさびのようなものです。
修行によってそのさびを少しずつ取り除けば、本来の美しい鏡が現れるように、仏性も現れえて悟りを開くことができると説かれています。
代表的な宗派は次のようなものがあります。
・法相宗
・華厳宗
・律宗
・天台宗
・真言宗
・臨済宗
・曹洞宗
・黄檗宗
・日蓮宗
これらすべて、自らの修行を重ねて悟りを目指す聖道仏教に分類されます。
浄土仏教とは
一方、浄土仏教は、人間には自力で悟りを開くだけの力はないと説きます。
人間は仏性を磨けば悟れる存在ではなく、煩悩の塊であると明らかにされます。
だからこそ、自分の努力ではなく、阿弥陀仏の本願力によって救われることを説くのが浄土仏教です。
代表的な宗派には、
・融通念仏宗
・浄土宗
・浄土真宗
・時宗
があります。
道綽禅師が明かされた人間の姿
浄土仏教を大成された高僧・道綽禅師は、人間の心を次のように教えられています。
若し悪を造ることを論ずれば何ぞ暴風駛雨に異ならん
これは、
「人間が悪を造ることは、暴風雨のように激しく絶え間なく続いている」
という意味です。
土砂降りの雨が降り続くように、私たちの心には欲や怒り、ねたみ、恨みなどの煩悩が次々と湧き起こっています。
表面上は善人に見えても、心の中まで振り返ると、悪い思いや自己中心的な心が絶えないことに気づかされます。
人間の代表的な三つの煩悩

曇鸞大師が示された「聖道門では救われない理由」
中国の高僧・曇鸞大師は、自力の修行による聖道仏教では、煩悩に満ちた私たちは悟りを開くことは極めて難しいと明らかにされました。
修行によって悟りを目指す聖道仏教は、煩悩を断ち切れる人でなければ成就できません。
しかし、煩悩を抱えたまま生きる私たち凡夫は、自力の力だけで悟りに至ることは極めて困難です。
だからこそ、阿弥陀仏は本願をたて、自力では救われない私たちを救う道を開いてくださいました。
阿弥陀仏の本願について書かれた『歎異抄』とは

まとめ
聖道仏教と浄土仏教の違いは、人間をどのように見るかにあります。
・聖道仏教は、人間には仏性があり、修業によって悟りを開けると説く。
・浄土仏教は、人間は煩悩の塊であり、自力では悟れず、阿弥陀仏の本願によって救われると説く。
親鸞聖人は、この浄土仏教の教えを受け継ぎ、「煩悩具足の凡夫」である私たちこそ、阿弥陀仏の本願の救いの対象であることを明らかにされました。
感想
日本の仏教は13宗派ありそれを聖道仏教と浄土仏教にわけることができると学びました。それは修行して悟りを開く教えと、弥陀の本願によって救われる教えと二つあります。
仏教ときくと修業して悟りを開くイメージだが、修行しても煩悩はなくならないという。煩悩があるままで救われるのが阿弥陀仏の本願だとわかりました。
阿弥陀仏の本願とはすべての人をありのままの姿で救うというお約束です。厳しい修行に耐えた人だけが救われるというわけではない。老少善悪関係ない教えであるとわかりました。
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