群れてしまうのは、あまりよく分かっていないから

要約

なぜ、群れない人が優秀なのか?

よく分かっている人でないと、人間というのは群れてしまう

群れてしまうということは、あまりよく分かっていないということ

→  みんなと一緒の行動をしているほうが安心する

→   分かっていないとみんなと逆の行動はできない

大衆というのは正しいものではない 多数決というのは常に正しいというのは間違いである

自分はまともな意見で他の人はまともじゃない意見でも、まともじゃない意見のほうが多数決で圧倒的に多い場合、自分のまともな意見は間違っていると思ってしまう。

→  分かっていないと群れてしまうのが人間

ネット世論

→  少数の人によって大多数が形成されている

→  わずか1、2%の人の発言や意見がネット世論の50%を占めている

感情的なものほど拡散されやすい 感情的な表現のもののほうが注目されやすいし興味をひきやすい

エコーチェンバー

→  自分の気に入った情報を発信している人をフォローすると、自分のタイムラインに入ってくる情報は、自分の気に入った情報ばかり流れてくる

→  自分の気に入らない情報にはフォローしないのでそういう情報は入ってこなくなる

→  似通ったものどうしが固まる

ネットでは何か強く主張する人がいれば、必ずその反対の意見を言う人が出てくる

人のゆく 裏に道あり 花の山

→  みんなが行くところにはそんなに大したものはない みんなが行く裏に大きなものが得られると言う意味

成功者は皆が行くからといっていくんじゃなく、自分で考えて人がどう行くかよりも自分で決めて行動する方が、本当の意味で成功者になれる

仏教では

一盲衆盲を 引いて以て 火杭に堕つる  (仏蔵経)

→  一人の盲人がたくさんの盲人を率いて、皆な火の穴の中に堕ちていく

→  皆が行くから正しいとは言えないということ

→  一盲 = 悪知識  悪知識 = 間違って仏教を伝える先生

世の中はほとんどが悪知識ばかりで、善知識は少ない

真の知識に遇うことは 難きが中になおかたし  (親鸞聖人)

→  善知識に遇うことは難しい中にも難しい めったに遇えない

なぜ、善知識に遇えないか?

→  正しく仏教を教えることが難しいから 

→  また正しく聞くことも難しい 簡単に聞けるものじゃない まじめに聞いても誤解されやすい

→  信楽という仏教の説く本当の幸せを手に入れることも難しい

感想

群れてしまうのは、その物事についてよく分かっていないとき。また、群れていれば安心を得やすいということもある。一人行動するのは勇気がいるし、確たる自信がないとできない。

大谷翔平選手がプロ野球で二刀流をやろうとしたとき、野球界のOBや大御所は猛反対し中には「野球をなめている」という人までいたという。それでも大谷選手は二刀流を貫き、現在めざましい活躍をしている。その大谷選手の好きな言葉に「先入観は可能を不可能にする」というものがある。周りの人ができるわけないといい、それで自分はできないと決めつけてしまったら、できるものもできなくなるということだ。いつも群れて行動していたらできないことだろう。大谷選手自身の確固たる信念が、誰も進んだことのない道を切り開いている。

仏教では善知識から教えを聞かなければならない。しかし善知識とは圧倒的に少なく世の中の大半は悪知識だといわれる。その中で、善知識を見分けなければならない。今までの自分の経験や知識をもとに善知識の教えと悪知識の教えを見極める必要がある。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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