要約
世界で仏教を信じている人は6% その仏教の中でも阿弥陀仏の本願を聞いている人はさらに少ない
欧米の人は禅宗を知っている人はいるが、阿弥陀仏の本願を知っている人はあまりいない
さらに阿弥陀仏の本願を聞いている人の中でも、平生生きているとき救われるということを知っている人は少ない
阿弥陀仏の本願とは平生に救われるというお約束
→ 平生業成 業=信楽=摂取不捨の利益=絶対の幸福
→ 弥陀の本願という言葉は知っていても、死んだら極楽、死んだら仏と思っている人ばかり
たくさんの人が聞いているから正しいというわけはない 正しい教え、真実の教えだからこそ簡単にわかるものではない 真実だからこそわからなくて当然
煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと真実あることなし (親鸞聖人)
欲や怒りやねたみそねみの塊が人間 煩悩の塊だから真実の教えは入っていかない 煩悩をかきたてられるものは耳に入ってくる
仏教の教えとは煩悩の塊である人間にとって聞きたい話ではない
→ 人間は煩悩の塊だから、そらごとたわごとであり真実あることなし
→ 真実の教えを聞ける人は真実の心がある人
阿弥陀仏の本願誠だったと知らされた人は、弥陀の本願を伝えたいという気持になる
→ 絶対に崩れない幸せを伝えると、みんな疑う
→ 謗る人がいる 疑謗破滅ばかりなり
弥陀の本願を本当だったな、と知らされる人もあるし、謗る人もあるとお釈迦さまがお経の中で説かれている
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ
煩悩の塊である私に何とか阿弥陀仏の本願、真実の教えを伝えたいと思われた弥陀が、ずっと私を導いてくださっていた
宿縁=宿世のご縁 宿世の仏縁
宿世=過去世
感想
仏教を正しく聞くことはとても難しいことがよくわかった。だから世界で仏教を聞く人が少ない。しかも、その中で阿弥陀仏の本願を正しく知っている人はさらに少ない。
僕自身のまわりでも、仏教を知っている人はいるが阿弥陀仏の本願が平生生きているときに救われる教えだと知っている人はいない。同級生や先輩、後輩でも知っている人はいない。僕は本を読むことが好きだが、今まで読んだ本の中にも阿弥陀仏の本願が平生生きているとき救われる教えだと書かれたものに出会ったことがない。仏縁を結んでできた法友に出会うまで話題になったこともない。いかに知らない人が多いかは身の回りの人たちを見てもよくわかる。
仏縁を結んでよかったことしかないので、今度は僕が縁となり阿弥陀仏の本願を知らない人に伝えていきたい。このブログも誰かの仏縁になることを期待して続けていきたい。
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