要約
お釈迦さまが愚かだと言われる人とは?
→ 人を恨む人
仏教で教えられる三毒の煩悩の一つ
愚痴
→ 恨み 憎しみの心
→ 人を恨んでいる心はバカな心
→ すべての人が愚痴の心を持っている
縄をうらむ泥棒
→ 泥棒が縄で縛られて苦しんでいる。苦しいのは縄のせいだと思っている。それはバカな泥棒。縄で縛られて苦しいのは縄のせいじゃなく、自分が泥棒をしたから。
他人が苦しんでいるとそれはその人自身が悪いとわかるが、自分が苦しいと自分に悪いところがあると気づけない
→ 仏教では縁のせいにしているという。
仏教では因と縁が揃うと結果になると教えられる
因 モミダネ 私たちの行い 直接原因
縁 水、日光、土 人、場所、環境 間接原因
果 米 運命
人は恨むとき縁になった人を恨み、自分の行いを見つめない あいつのせいだこいつのせいだと縁を恨む 縁を恨むのではなく自分の因(行い)に目を向けられる人は智慧のある人
私たちが愚かになってしまう原因としてやった行いを忘れてしまう
→ 悪い行いをしてすぐ結果になるのだったら反省できるが、しばらくたってから縁に結びついて結果になることがある しばらくたって現れる悪い結果は悪い行いを忘れているので縁のせいにしがち
順現業 まいた種がすぐに縁に結びついて結果になること
順次業 まいた種がしばらくたって縁に結びつき結果になること
順後業 まいた種を完全に忘れているが縁に結びついて結果になること
まいた種は必ず生える
→ 業力不滅 行いには不滅の力がある
業力とはよい運命も悪い運命も引き寄せる力がある
私たちが愚かになってしまう原因として、無自覚に悪いことをやってしまうことがある
因果の道理
善因善果 善い行いをすると幸せになる
悪因悪果 悪い行いをすれば不幸になる
自因自果 自分のやった行いが自分に返ってくる
愚かな人とは因果の道理がわからず、人のせいにしている人のことをいう
感想
仏教では愚かな人とは因果の道理がわからない人のことだと教えられる。自分に悪い結果がきたとき、人のせいにするのではなく自分の行いをみつめる。簡単なようでなかなかできないことだ。
経営の神様と呼ばれた松下幸之助は著書「思うまま」の中で次のように語っている。「お客さまには、あまり文句を言わない人とあれこれ細かい注文をつける2種類がある。あまり文句を言わずいに買ってくれるお客もありたたいが、よく考えてみると、よりありがたいのは苦情をよく言ってくださるお得意様ではなかろうか。その注文や苦情が、自分の商売ぶりや、商品の改善のために非常に役に立つからである」自分の悪い点を素直に見つめて改善しようとする。その積み重ねの結果、経営の神様と呼ばれるまでになった一因ではないだろうか。
仏教では因果の道理が教えられている。善因善果、悪因悪果、自因自果。自分に起こった結果には必ず自分に原因がある。どうみてもあいつのせいでこんな悪いことになった、と思うケースはある。そんなときに因果の道理を知っているだけでずいぶん考え方は変ると思う。自分の行いに何か問題はなかったか。仏教の教えが自分を助けてくれる。
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