人類は昔から、「死」を避けたいという願いを持ち続けていました。
現代では世界的な大富豪が莫大な資金を投じて寿命を延ばす研究を進めています。
しかし、死を避けようとする思いは現代だけのものではありません。
古代から現代まで、人類はさまざまな方法で「不老不死」を追い求めてきました。
現代の大富豪が目指す不老不死
オンライン決済サービスPayPalの共同創業者であるピーター・ティール氏は、寿命の延長や老化を克服する研究への関心で知られています。
また、Google共同創業者のラリー・ペイジ氏は、ライフサイエンス分野の研究を支援し、人間の寿命を延ばす研究にも大きな関心を寄せています。
さらに、アメリカには亡くなった後に遺体を超低温で保存し、未来の医療技術による蘇生を期待する「アルコー」のようなサービスも存在します。
このように現代でも、多くの人が「死」を克服したいと考えています。
死を恐れたのは現代人だけではない
死への恐れは、昔の王や皇帝たちも同じでした。
秦の始皇帝は晩年、不老不死の薬を求めて各地へ使者を送りました。
古代エジプトのファラオは、死後の復活を願ってミイラとして保存されました。
また、ヨーロッパでは若返りの泉を求める探検が行われたという逸話も残されています。
時代や文化が違っても、人間が死を恐れる心は変りません。
仏教は「人は必ず死ぬ」と教える
一方、仏教は不老不死を目指す教えではありません。
仏教では、人は誰でも必ず、老い、病み、そして死を迎えると説かれています。
室町時代には、
人の一生は電光朝露の夢幻のごとし
という言葉が語られました。
人生は稲妻や光や朝露のように短く、夢や幻のようにはかないものだと言う意味です。
死という現実から目を背けるのではなく、その事実を見つめることから仏教は始まります。
ブッダが求めた本当の幸せ
お釈迦さま(シッダルタ太子)は王子として生まれました。
財産、地位、名誉、美しい宮殿、愛する家族など、多くの人が望むものをすべて持っていました。
しかし、それでも満足されませんでした。
宮殿の外で老人、病人、そして亡くなった人を目にし、どれほど恵まれた人生であっても、老い・病・死から逃れられないことを知ります。
そして、これらを根本から解決する道を求めて出家されました。
老い・病・死を超えた幸せとは
仏教が目指すのは、肉体が永遠に生き続けることではありません。
どれほど寿命が延びても、最後には死が訪れます。
500年生きたとしても、その終わりが来るなら、死への不安が完全になくなるわけではありません。
仏教では、老い・病・死という避けられない現実を超えても失われない幸せがあると説かれています。
だからこそ、お釈迦さまは不老不死ではなく、「死を超えても崩れない幸福」を求められたのです。
仏教に説かれる「死が来ても崩れない幸福」について

まとめ
古代の皇帝も、現代の大富豪も、「死」を避けたいという願いを抱いてきました。
しかし、仏教は寿命を延ばすことではなく、「死があっても失われない幸せ」を明らかにしています。
老い、病、死は誰にも避けられません。
だからこそ、人生で最も大切なのは「どれだけ長く生きるか」ではなく、
「死を迎えても崩れない本当の幸福とは何か」をしることだと、ブッダは教えられたのです。
感想
社会で成功した人は自分の死を超えようと試みていたことがわかりました。しかし寿命を延ばすことはできても必ず死はやってくる。死がおとずれない人は過去にも現在にもいません。
仏教では老いや病や死がきても崩れない幸せが教えられています。それは不老不死ではありません。後生の一大事の解決のことです。後生とは死んだ後の世界であり、死んだ後どこへいくのかはっきりとさせることが大事なことだと教えられています。死んだ後に幸せな世界にいくのか、苦しく不幸な世界にいくのか。死んだ後に幸せな世界へいくために仏教を学び続けていきたいです。
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