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人生の虚しさは人生の意味を感じられないから

要約

父親の在宅介護をしているBさん。最初は充実感を感じていた。しかし介護を始めて三年経った頃から介護疲労がたまり、職場でのミスが多くなってきた。Bさんはイライラするようになり、父親が鼻歌をうたっていると「いい加減にして!」と怒鳴ったこともあった。父親に対して早く死んでくれたらなとふと思ってしまう自分にぞっとした。

仏教では親を殺す罪を五逆罪という 

→  親を殺すとは心の中で思うことも含まれる

2025年問題

→  団塊の世代が75才を迎える これから介護が必要になる人が増えてくる

人生の目的に暗い心 人命の尊厳に暗い心

→  無明の闇という すべての人が抱えている

無明の闇を破ることを教えられたのが親鸞聖人

無明長夜の灯炬なり 智眼暗しと悲しむな 生死大海の船筏なり 罪障重しとなげかざれ  (親鸞聖人)

阿弥陀仏の本願(誓願、お約束)

→  必ず無明の闇を破らせてみせる

無明の闇が破れたとき信心決定という 

→  破闇満願 

→  人身受け難し今已に受く  (お釈迦さま)

感想

人生に虚しさを感じるのは人生に意味を感じられないからだという。生きる目的を見失っているとき、何のために生きているのだろうと思うことがある。そう思うのは誰しもがあることだと思う。

僕自身は、自分の人生が前に進んでいないようなきがする、なんだか楽しいことがない、毎日がつまらない日々が続く、こんなとき人生が虚しいと感じる。生活に張りがないと心が沈んでしまう。だから人生に目標を持つことが大事だと思い目標を立てるようにしている。目標を立てることでそれを目指して日々生活することができる。しかし目標はあくまでも生き方の問題であって、生きる目的とは違う。では生きる目的とは何か? それをはっきりと教えてくれた人はいない。

仏教では人生の目的を教えられている。それは無明の闇を破ることだという。無明の闇を破るには阿弥陀仏のお力が必要だ。阿弥陀仏の本願によって無明の闇を破ることができる。そのとき人間に生れてよかったと思えるときがくるといわれる。その身になるまで仏教を学び続けていきたい。

仏法は聴聞に極まる。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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