縁のせいにしている
仏教では因と縁が揃ったときに結果が起こると教えられます。これを因縁果の道理といいます。
植物であらわすと、もみ種(因)をまくと米(結果)が獲れます。しかし、もみ種(因)を畳にまいたら米(結果)はできません。もみ種(因)に必要な土、日光、田んぼ(縁)が必要です。
私たちの運命も同じで原因は自分の行い(因)によって幸福や不幸(結果)が生じます。だから自因自果といいます。自分の行い(因)と、人や時代や環境(縁)が揃うことで運命は変ります。
私たちは自分に悪い運命がくると縁のせいにしがちですが、直接的な原因は自分の行いにあります。自分の行いを見つめることで悪い運命を変えることができます。
ハインリッヒの法則
ハインリッヒの法則というものがあります。1対29対300の法則ともいいます。
1件の重大事故の背景には29件の軽微な事故がある。その29件の背後には300件のひやりとする事態が起きている。例えば1件の車と自転車の死亡事故があった場合、死亡事故の背後には29件の軽微な事故がある。それは車が自転車に接触するような軽い事故がある。そしてその背後には300件のひやりとするだけの事故にならないような出来事が存在する。
車と自転車の事故が起きた場合、事故は結果です。自分の不注意(因)と自転車(縁)が揃って事故(結果)が起こります。事故の直接的原因は、自分の不注意です。事故を防ごうと思ったら、自分の行動を正すことが大事です。
高橋一生
作家の高橋一生が言っていたことにこんな言葉があります。
どんな役を演じても本人の演技に人となりが出る
役者が役を演じるというのは、自分とは異なる人格や職業になるということです。普段、自分は言わないセリフやしない行動をすることになります。
しかし、どんなに違う人格の役を演じても、その人の日常の素というものが演技にでてしまうといいます。それは日常の因縁が揃って結果がでているということです。
普段、怒ってばかりの人は表情が険しくなる。逆に普段、人と優しく接している人は、顔に優しさがあらわれる。
日常の生活の中で、この人とは付き合いにくいな、と人が離れていくのも、付き合いたい、と近寄ってくるのも実は自分の行いによって決まります。あの人は、運がいい、運が悪い、というのも、その人の日常の行いが原因となって如実にあらわれているということです。
感想
仏教では因と縁がそろったときに結果が起こると教えらえれる。もし自分に不幸なことが起こったのなら、その直接的な原因は自分の行いのなかにある。自分の行いを正すことが不幸な運命を変えることができる。
運がいいのも、運が悪いのも日頃の行いに原因があるという。運は人が運んでくるものともいうけれど、普段から人に優しくしたり親切にしておくことが巡り巡って自分に返ってくる。
僕自身が普段やっている小さな善は、車を運転しているときに右折や左折をしようとしている車に譲ることだ。一日に一回でもいいのでやるようにしている。一日一善を意識するとやりやすい。慣れてくると一日で4~5回できることもある。その小さな善が回り回って自分の運をよくしてくれていると感じます。
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