要約
なぜ、裏アカウントの悪口はバレてしまうか?
誤爆
→ 裏アカウントだと思って発言した情報が本人にしかわからないようなことをのせてしまいバレる
知人
→ 裏アカウントの存在を知っている知人に暴露する
→ その知人が裏アカウントの存在を暴露してしまう
SNS当局
→ 相手を陥れたいという非難中傷を書き続けていると侮辱罪、名誉棄損で当局に通報がいき発信者を特定される
趣味の人
→ 裏アカウントは誰かを明らかにすることを趣味としている人によってバレる
仏教では因縁によって結果が生じると教えられる
因 裏アカウントで発信していたという行い
縁 誤爆 知人 SNS当局 趣味の人
果 発覚して信用を落とす
→ バレなきゃ平気だろうと思ってやった悪い行いはどれだけ時間が経ってもあらわれる
業力不滅
→ 業 = 行い
→ 行いには運命を引き起こす力がある
→ 善い行いは幸せをもらたらし、悪い行いは不幸をもたらす
→ 犯罪なら時効があるが業力は不滅で必ず結果を引き起こす
何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。 (スッタニパータ お釈迦さま)
大空の中にいても、大海の中にいても山の中の奥深いところに入っても、凡そ世界のどこにいても、悪業から逃れることのできる場所はない (ダンマパダ お釈迦さま)
人がもしも善または悪の行いをするならば、かれは自分のした一つ一つの業の相続者となる。実に業は滅びないからである (ウダーナヴァルガ お釈迦さま)
生きとし生きる者どもは死ぬであろう、生命はついには死に至る。彼らはつくった業の如何に従って赴き、それぞれ善と悪の報いを受けるだろう (ウダーナヴァルガ お釈迦さま)
どうしたら悪い行いがバレずにすむか?
罪を昭々に得るなきを欲せば 先ず罪を冥々に得ることなかれ。 (中国のことわざ)
→ 自分の悪い行いを改める
感想
人目につかないところで悪いことをしても必ずそれは表にあらわれる。もし悪いことが明らかになっても隠すことばかり考えるのではなく、自分の悪い行いを改めることを考えなければならない。
江戸時代の陽明学者、中江藤樹の言葉にもこんなものがある。「善を為すは、耕耘のごとし。当下の穀を得ざるといえども、かならず秋実を得る。悪を作すは、鴆酒を飲むがごとし。即席の燕楽を得るといえども、かならず死期来たる」これはどういう意味かというと、善行というのはあたかも汗水をながし苦労して、田畑をたがやすようなもの。すぐに穀物を収穫できないけれども、秋になればかならず実となり、自分の口にはいるのである。それに対して悪行は、毒入りの酒を飲んでいるようなもので、すぐさま酔って歓楽できるけれども毒が体中にじわじわとまわって、かならず死期が早まるという意味だ。悪いことはかならず自分に悪い結果となることをいい当てている言葉だ。
仏教では因と縁が結びついたとき結果になると教えられる。これを因果の道理という。また行いには不滅の力があるといわれる。それが業力不滅。因果の道理を知ると悪いことは必ず自分に返ってくることが知らされる。人が見ている見ていないに関わらず常に悪い行いを慎もうという気持ちになる。
仏教の教えを学ぶことで人生の中で大事にすべきことがわかる。
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