要約
■ 一杯のスープが国を滅ぼす
・ 古代中国に中山国という国がありました。そこの王様が中山王といいました。その王様がたくさんの来賓を招いて宴会をした。そのときに羊のスープが宴会のコースに組み込まれていた。みんなにスープが配られたが、不手際で一杯のスープが足りなかった。その相手が司馬子期という人物だった。そのとき中山王はそのことに気付いたが、司馬子期だったので大丈夫だろうと気にかけなかった。司馬子期は侮辱を受けたと感じた。中山王はうっかり忘れていたのではなく、あきらかに気付いていたがスープを持ってこさせなかった。司馬子期は大変怒りを覚え宴会を抜けだしたその足で、大国である楚という国に走った。そして楚の大軍を動かして中山国を滅ぼしてしまった。
・ 相手を見下す、相手をバカにする、相手を軽んじる、そういう言動がいかに相手に対して不快な気持ちにさせるかということ。
・ 仏教では人を見下す心を慢という。慢の心で人間関係はダメになる。
・ すべての人は名誉欲を持っている。人から褒められたい、認められたい、大事にされたい、バカにされたくないという欲。だから人からバカにされると自分の全存在が否定されたような気持ちになる。

■ 自覚がない
・ 慢というのは自覚がない。人を見下していながら気付けない。言っている本人は気付けない。
★ 自惚れは 人に見えても 身に見えぬ
・ 自惚れ心は人はよくわかるけど、自分にはわからない。
・ お釈迦さまは人間には上下はないと教えられる。しかし、どうしても私たちはお金ができると人を見下す気持ちが起きてくる。
・ 親鸞聖人は人間はみんな煩悩の塊であると教えられる。それが役職とか収入とか容姿とかで差はあるけれど、人間の価値には上下は無いと教えられるのが仏教。
★ 偉そうに する値なぞ なき身なり
・ 偉そうにする値などないのが自分である。自分の本当の姿は欲と怒りと妬み嫉みの煩悩の塊である。仏の目から見たら人間は皆偉そうにする値などない身である。
■ 笑って鉄鞭を受ける
・ どうしたら慢心を自制することができるか。二つの方法がある。
・ 一つ目は掃除をすること。特にトイレ掃除がいい。掃除は人格形成において大事だと仏教では教えられている。日本では会社の社長や経営者がトイレ掃除をする習慣がある。掃除をすることは自惚れてしまう自分の心を見つめる機会になる。
・ もう一つは叱ってもらうこと。
★ 人を叱るのは苦しく、叱られるのは痛快だ。笑って鉄鞭を受ける者は、必ず新生する。
・ 叱ることは嫌われる。皆嫌われたくないから人に注意できない。たとえ部下であっても上司は好かれたいから言いにくい。本当に親切な人、本当に相手を思っている人が注意をしてくれるのはありがたいこと。
・ だんだん年をとれば言ってくれる人はいなくなる。そうなると陰でひそかに笑われている。そんな中、自分に注意してくれる人、こういうところは直した方がいいと言ってくれる人は大切にしなければならない。

感想
人のことをつい見下してしまうことはある。相手の態度の変化を見て気付くことがあるが、それではもう遅いということがある。相手は自分に対して嫌悪感を抱き、人間関係が悪くなる。自分が見下されることはひどく嫌なはずなのに、相手にやってしまうことがある。自分はなんてバカなんだろうと呆れてしまう。
仏教では人間に上下はないと教えられる。どんな人も煩悩具足の凡夫。煩悩の塊が人間であると説かれている。それを頭で分かっていても、見下してしまうことがある。自分は謙虚のつもりでも自惚れ心をなくすことはできない。
相手に対して見下すことなく関係を続ける、それは一生の課題だと思う。僕自身、今までもそうだったが、これからも失敗を重ねながら慢心と向きあわなければならないと感じた。
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