なぜか運がいい人 なぜか運が悪い人○○が決定的に違う

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決定的に違うところ

なぜか運がいい人、なぜか運が悪い人、この違いは順境のときと逆境のときの対処の違いにあらわれる。

順境とは調子のいいとき。

逆境とは調子の悪いとき。

順境・逆境はそれぞれの人生に必ずある。

あの人は生れてこのかたずっと順境しかない人はいないし、ずっと逆境という人もいない。

昼の後には夜が来るように、山道なら登り坂もあれば下り坂もある。

あの山道は永遠に上り坂というのもないし、永遠に下り坂というのもない。

必ず、登り坂もあれば下り坂もある。

それと同じように、人生には順境もあれば逆境もある。

運がいい人にも順境・逆境はやってくるし、運が悪い人にも順境・逆境はやってくる。

この両者をわけるもの何か。

運がいい人は順境のときチャンスとなるそれをつかむことができる。

運が悪い人は順境を生かしきれない。

逆境のときは運がいい人はうまく対処できる。

運が悪い人は傷口を広げてしまう。

順境への対処

順境を生かすとはどういうことか。

柳生家の家訓に次のようなものがある。

小才は縁に出合って縁に気づかず

中才は縁に気づいて縁を生かさず

大才は袖すり合った縁をも生かす

小才とは才のない人、つまらない人というのはよい縁に出会っているのにそれに気づかない。

中才はいい縁がきたことに気づくけれどもそれを生かす力がない。

大才は袖すれ合ったような、ほんのちょっとの些細な縁をも生かすことができる。

そこに違いがあらわれる。

実はよい縁は運のいい人にも悪い人にも来ている。気づいて生かす人と生かせない人がいるということ。

ニトリという会社の創業者、似鳥さんにこんなエピソードがある。

私もね、大学を出て広告会社に入ってね、営業マンをやりましたが、150万円のノルマが達成できなくて、半年でクビ。仕方なしに、親や知人から100万円借りて、23歳で似鳥家具を立ち上げました。

ところが、私は人見知りなもんで、接客がサッパリ。結婚すれば従業員を雇わなくてもいいかなと、8回目の見合いでようやくつかまえたのが家内の百百代でした。

彼女は愛嬌も度胸も満点で接客上手。おかげで商売が軌道に乗りました。これが運のツキ始めかな。

似鳥さんは運が最初についたのは結婚したことだと言われています。

それは周りの人から見てもあんないい奥さんをもらったから成功したんだ、お前は運がいいなという人もあったかもしれない。

奥さんは素晴らしい縁だった。

でもその奥さんがこの人と結婚しようと思わせるものが似鳥さんの中にあったということ。

似鳥さんも8回の見合いの中で、この人だと見抜く、人を見る目を持っていた。

あるいは、結婚したところで奥さんが頑張ろうという気持ちになったのは似鳥さんの人柄があったから。

逆境への対処

逆境は運が悪い人ばかりにやってきて、運がいい人にはこないわけではない。

両方にやってくる。

だけどそのときの対処で逆境を事なきをえる人と、逆境がきっかけで坂道を転げ落ちるように悪くなる人がいる。

逆境に対しての対処の仕方で最悪なのは、八つ当たりしたり、自暴自棄になったり、依存症になったりすること。

これが逆境をさらに悪くする。

逆にいえば逆境になったときに、これらをしなければいい。

仏教では「諦観」といわれるものがある。

どうしてそうなったのか、原因をアキラカニミル。原因をあきらかにみて一つ一つを対処していく。

それによって道が開ける。

運がいい人にも運が悪い人にも逆境はやってくるがその対処の仕方で違ってくる。

実は難しい

親鸞聖人は仏法を求めるときに順境でも逆境でも聞き難いと言われています。

なぜ聞き難いのかというと、順境のときは「欲」の心がでてきて仏法を聞きたいという心を邪魔する。

逆境のときは「怒り」の心がでてきて仏法を聞くのを邪魔されると言われています。

貪愛の心常に能く善心を汚し、

瞋憎の心常に能く法財を焼く

(親鸞聖人)

では、どうすればいいか。

逆境のときは、なんで自分はこういう結果になったのか原因をあきらかにみて「発奮」する。

逆境をバネに頑張れる人は克服できる。

順境のときは「感謝」する。

しかし、順境のときに感謝できる人はあまりいない。

なぜなら、いい縁やチャンスに恵まれるとそれが当たり前になって、大切にしなければならないよい縁となった人たちのことをおろそかにするようになってしまう。

そうなると見放されてしまう。

感想

運のいい人にも運の悪い人にも順境と逆境、両方ある。運のいい人はずっと順境ばかりということもなければ、運の悪い人はずっと逆境が続くということはない。

何かいいチャンスが巡ってくるのはいつも人との出会いからだ。柳生家の家訓のとおり、一つ一つの縁を大事にしてくことでチャンスをつかむことができる。

出会いを生かすためには、相手からよい人だと思われることが大事だと思うが、そのためには普段から自分を磨き、人間性を高める努力が必要だと思う。

そうすれば相手から必要とされる人間になれる。お互い必要だと思える関係が築ければ、縁を生かすことができたといえる。

いつよい縁がきてもいいように、自分を高めていきたいです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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