全ては繋がりの中に存在している
世の中の一切の結果には必ず原因があると説かれるのが仏教の教えです。
これを因果の道理といいます。
何もないところから突然、偶然ポンと現れる事象というのは、
一つもない。
必ず、因縁があってそういう結果になります。
ポアンカレ予想のポアンカレは偶然ということについて次のように述べています。
我々の目に止まらないほどのごく小さな原因が我々の認めざるを得ないような重大な結果を引き起こすことがあると、かかるとき我々はその結果は偶然に起こったという。
偶然というのはその結果に対しての原因がないということじゃなく、
それが小さくて見えない、あるいはわからないときに偶然という言葉を使っている。
大きな結果をもたらすものが小さな原因だということは、
バタフライ・エフェクトという科学の世界でも言われます。
バタフライ・エフェクトとは蝶々が羽ばたいたときにごく小さな風がそこに起こる。
小さな風は他の風で消えてしまうが、もし小さな風が邪魔されなかったらどうなるか?
その小さな風は3日ごとに倍増していく。1カ月後には1000倍になり、2カ月後には100万倍、
4カ月後には1兆倍になるという。
北京で一匹の蝶々が羽ばたくと半年後にはニューヨークで嵐が起きる。
マザーグースの歌に釘が一本足りなくてというのがある。
一本の釘が足りずに蹄鉄が打てず、
蹄鉄が足りずに馬が走れず、
馬が走れずに騎手が出られず、
騎手が出られずに司令が届かず、
司令が届かず戦に負けて、
戦に負けて国が滅びた。
何もかも一本の釘のせい。
小さな原因が次の結果になり、その次の結果が次の次の結果を起こし、
それがどんどん大きくなって一国が滅びてしまう。
仏教の教えでは全てには必ず原因があるけれどそれを人間の智慧では、
納得できるように説明はできない。
一切法は因縁生なり
仏教の言葉に次のようなものがあります。
芥子粒の中に大千世界を入れて広からず狭からず
小さな芥子粒はなぜできたかというと、芥子の花からできている。
その芥子の花は、その前にあった芥子の種からできている。
その前にあった芥子の種はさらに前にあった芥子の花からできている。
一粒の芥子粒の中にはものすごい歴史がある。
また、芥子粒ができるためには、水や風や太陽の光がなければできない。
だから一粒の芥子粒ができるまでには大宇宙まで関係している。
仏教では一切法は因縁生なりと教えられます。
全ての結果は因縁によって起こる。
現生不退
仏教では現在を重視します。
なぜかというと、現在は過去と未来を解く鍵、だからです。
過去と現在と未来は因果関係で連なっていると仏教では教えられます。
現在は過去の結果となって現れているもの。
現在の結果は過去の原因が集積したものです。
現在の原因は未来の結果を引き起こします。
現在のどんなに小さな行いも未来の結果を引き起こします。
汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
(お釈迦さま)
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。
仏教では、過去と未来が触れ合っているところを一念という。
親鸞聖人はこの一念に私たちの幸せがあると教えられた方です。
これを、平生業成、といいます。
平生とは生きている”今”ということ。
業成とは”本当の幸せ”になれること。
また、現生不退、ともいいます。
生きているときにもう”ひっくり返ることのない幸せ”になれる。
これを、不体失往生、ともいいます。
体を失わずして往生する、弥陀の救いは生きている今だと教えられます。
感想
全ての結果には必ず原因がある。そして現在は過去と未来を解く鍵であるという。そんなことが仏教に教えられていることに驚く人は多いだろう。僕自身も知ったときはかなり衝撃だった。
過去は変えることはできないが、未来を変えたければ現在の行いを変えればいい。どんなに小さな行いも未来の結果につながるのだから、軽んじてはいけない。
この先、幸せになりたかったら今から善い行いに努める。
因果の道理を知ったならば実践あるのみです。
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