「私がこんな目にあったのはあの人のせい」思わぬ不幸に見舞われたときに私たちはそう考えます。誰かのせいであって自分に原因があるとは思えません。
不幸をもたらした相手に復讐するか、他に八つ当たりするか、あるいは忘れるか。この三つの選択のどれを選ぶにしても気持ちが落ち着くことはありません。
それではどうしたらいいか。本書では運命の仕組みを知ることが大事だと教えられています。西洋の哲学者の言葉からインドの哲学者、そしてブッダの教えを紐解き、運命の仕組みについて理解を深めることができます。
書籍
著者 伊藤健太郎
昭和44年、東京生まれ。
東京大学大学院修士課程修了(専攻 科学哲学)。哲学者。
著書『なぜ生きる』(共著)『男のための自分探し』『親鸞聖人を学ぶ』(共著)『人は、なぜ、歎異抄に魅了されるのか』など。
「因果の法則を知って、恨みから離れなさい」とブッダは教える
自分の業(行為)が目に見えない力となって残り、そこに引き金となる条件(縁)が結びつくと、幸福や不幸という「目に見える結果」を生み出す。これが「因縁果の道理」ですが、行為(因)の後、すぐ縁がやってくるとは限りません。だから善いことをしても、必要な縁がそろうまでは、善果(幸せ)は現れませんし、それどころか悪い報い(不幸)のほうが、先に引き起こることもあります。しかし、善い因と縁が和合すれば、今度は幸せに恵まれるのです。
善い行いをすれば必ず幸せになれると教えるのが仏教ですが、善い行いをしてもそれがすぐ結果となって現れるわけではないという。
善い行いと必要な縁がそろわなければ、幸せになれない。実際に生活の中で善い行いをしてもすぐに幸せがやってくることはない。
僕自身、普段から善い行いをするようにしていますが、いったいいつになったら幸せがやってくるのかと思わされることばかりです。それでもいつかは幸せがやってくると信じて小さな善い行いに努めています。
誰も見ていなくても、善いタネをまき続ければ、必ず幸せの花が咲く
因果の道理に従う人は、「見つかりさえしなければ、悪いことをしても平気だ」とは考えません。いくら人間の目をごまかそうと、悪を犯したならば必ず報いがあるからです。
「悪いことをしてもバレなければ合法」と言った人がいますが、それは行いには業という力がある事を知らない人の発想です。
悪い行いには悪業という力があるから、必ずそれは自分に返ってきます。たとえ人の目をごまかせたとしても悪業は消えません。
逆に誰も見ていない所で善い行いをすれば、それは善業となり必ず幸せがやってくると仏教では教えられます。誰かが見ている見ていないに関わらず、善い行いも悪い行いも必ず自分に返ってきます。
善を実行する人には、必ず幸せの花が咲く
ブッダは生涯、「これは善だから努めなさい」「これも善だからやりなさい」と、いろいろな善を教え勧めました。それらの善すべてを、六つにブッダがまとめたものを、「六波羅蜜」とか「六度万行」といわれます。
①布施(親切)②持戒(言行一致)③忍辱(忍耐)④精進(努力)⑤禅定(反省)⑥智慧(修養)
仏教で教えられるこの六つの行いをすれば幸せになれるという。六つを全部やる必要はなく、どれか一つでも実行出来ればいい。
僕自身は日常生活で親切することを意識しています。とくに車を運転中に対向車が右折しようとしていたら譲るようにしているし、横断歩道を渡ろとしている歩行者に譲るようにしています。
日常生活で大きな親切をすることはなかなかないけれど、小さな親切をする機会はたくさんあります。小さくても親切をする習慣を身につければ、やがては幸せになれると信じています。
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