生きているとは薄氷の上を歩いているようなもの

要約

歎異抄 摂取不捨の利益 

→  利益 = 幸福

→  老少善悪を問わない誰でもなれる幸せ

すべての人は幸せを求めている 行動のすべては選択の連続である

→  より幸せになるほうを選んで行動している

日々追いかけている幸せ

→  お金 名声 地位 才能 健康 妻子 友人 容姿

有為転変の世

→  変質 だんだん変わること

→  崩壊 がらっと変わること

仏教では生きているということは薄氷の上を歩いているようなものと説かれている。いつ幸せが崩れるかわからない

→  いくら薄氷が割れないように慎重に歩いてもいつかは必ず割れるときがくる

→  薄氷の不安という

死がやってきても崩れない幸せ

→  摂取不捨の利益

感想

摂取不捨の利益とはたとえ死がやってきても崩れない幸せだという。その身になることができたなら、薄氷の不安もなくなり、慎重に歩く必要もなくなる。

お金、名声、地位、才能、健康、妻子、友人、容姿は日々追いかけている幸せだ。これらは相対の幸福といい、手に入れたらもうこれでいいと満足することはなく、もっと欲しいと思う。しかし、手に入れても続かない幸せであり、死を前にしたら総崩れの幸せだといわれる。

これに対し死を前にしても崩れない幸せを絶対の幸福という。それが歎異抄の中でいわれる摂取不捨の利益のことだ。摂取不捨の利益とは、阿弥陀仏にがちっとおさめとってもう捨てられない幸せのことをいう。つまり阿弥陀仏の本願によって救われるということ。弥陀の本願によって浄土往きがきまること、それが死を前にしても崩れない幸せであると仏教では説かれている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました