要約
宝塚パワハラ事件
先輩からのしつけ 指導がパワハラで自死した
→ 本人たちに悪気はなかった
→ 自分たちもされてきたことで指導で良くなってもらいたかった
スケープゴート 生贄
→ カタルシスを得る 胸がすっとする
人が苦しんでいると楽しくなる 面白くなる
→ 仏教では 愚痴の心
悪性さらにやめ難し 心は蛇蠍のごとくなり (親鸞聖人)
無意識の悪意
ミリンダ王問経 お釈迦さまに阿難が問いかける
問 知って犯す罪と知らないで犯す罪とどちらが恐ろしいでしょうか?
答 知らないで犯した罪の方が重くて恐ろしい
問 焼き火箸だと知って握る人と焼き火箸だと知らないで握る人とどちらが重い火傷をすると思うか?
答 焼き火箸だと知らないで握った人の方がよりひどい火傷をする
→ 人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから一層罪が重く恐ろしい
仏教では
→ 自分の自覚している心は海面に出ている氷山の一角だといわれる
→ 海面下に自分の自覚していない本当の心がある
疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は量りしれない巨魁なのだ (ユング)
みな人の 心の底の奥の院 探してみれば 本尊は鬼
さるべき業縁のもよおせば いかなるふるまいもすべし (親鸞聖人)
感想
悪気はなかったという心の底には、人が苦しんでいることを面白がる心があるといわれる。それを仏教では愚痴の心という。自分が自覚していない心の奥底があるという。
自分のしていることが罪悪だと知らないために、その罪を重ねることになるから一層罪が重く恐ろしい、というお釈迦さまのお言葉はそのとおりだと思う。罪の意識のない人はその行動をやめることがないし、その行動を続けるから罪を重ねてしまう。
愚痴の心とは蛇や蠍のようなものだと親鸞聖人はいわれる。見るとゾッとするような心。そんな心をすべての人が持っている。
仏教では徹底的に心を見つめる教えだといわれる。人間の心の奥底には悪しかないと思わされてくる。醜くくて救いようがないとしかいえないのかもしれない。
そんなものが救われることができる、それが仏教には説かれている。
これからも聴聞を続けたい。
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