今回はエピソード4「悪人ばかりだとケンカにならない」を紹介します。悪人ばかりとはいったいどういうことでしょう。悪人だったらケンカばかりしそうですが、そうではないことがわかります。
書籍 光に向かって100の花束
著者 高森顕徹
昭和4年、富山県生まれ。龍谷大学卒業。
日本各地や海外で講演、執筆など。
著書『光に向かって123のこころのタネ』『光に向かって心地よい果実』『歎異抄をひらく』『歎異抄ってなんだろう』(監修)『人生の目的』(監修)など。
悪人ばかりだとケンカにならない 一家和楽の秘訣
要約
ある所にケンカの絶えないA家族と平和なB家族がいた。ケンカの絶えないA家族の主人はどうしてB家族はケンカをしないのか不思議になって訪ねた。そしてA家族の主人は平和に暮らす秘訣をきいた。
「どうしたら一家和楽に過ごせるか秘訣を教えて欲しい」
「私の家は悪人ばかりがそろっているからケンカにならないのです。ただそれだけのこと」
A家族の主人は皮肉を言われたと思い、納得がいかなかった。ところが、そこでB家の奥で皿かお茶碗が割れた音がした。
「お母さん、申し訳ありませんでした。私の不注意でお茶碗を壊してしまいました。私が悪かったです」
「いやいや、お前が悪いのではないよ。私がはやく始末しなかったから私が悪かったのです」
と姑さんの声が聞こえた。
「なるほど悪人ばかりという意味はこれだったか。ケンカにならないわけだ」
A家族の主人はケンカにならない理由に納得した。
謗るまじ たとえ咎ある 人なりと 我が過ちは それに勝れり
光に向かって100の花束 p27
感想
自分のことを悪人だと思っている方が、素直に自分の非を謝ることができるという。逆に善人だと思っていたら素直に謝ることはできないだろう。とても逆説的だが、悪人と思っていた方が家族は上手くいくことをあらわしている。
ケンカの原因はどちらも自分が正しいと思っているとき。どちらかが折れなければケンカは収まらない。たとえケンカで勝ったとしてもその後の関係は後味の悪いものになる。
現実世界では家族のケンカをまったくなくすことはできない。家族という狭い世界では日常的にケンカしてしまうものだと思う。それでもケンカをしてしまったときに、自分にも非があったかもしれないということを意識することでケンカの数はずいぶん減るかもしれない。
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