今回から高森顕徹先生の「光に向かって100の花束」のエピソードを一つずつ紹介していきたいと思います。第一回目は「この柱も痛かったのよ うるわしき母子」です。
書籍
著者 高森顕徹
昭和4年、富山県生まれ。龍谷大学卒業。
日本各地や海外で講演、執筆など。著書『光に向かって123のこころのタネ』『光に向かって心地よい果実』『歎異抄をひらく』『歎異抄ってなんだろう』(監修)『人生の目的』(監修)など多数。
この柱も痛かったのよ うるわしき母子
要約
列車に乗っていたときの出来事のことである。急ブレーキで止まったときに、前に座ってた母と一緒にいた幼児がか高い声で泣き出した。
どうやら窓枠に額をぶつけたらしい。幼児は泣き叫んでいたが、しばらくすると痛みもおさまったようだ。母は幼児の頭をなでながら優しく諭した。
「痛かったわね。お母さんがうんとなでてあげましょう。でもね坊やも痛かったけれどこの柱も痛かったんだよ」子供はうなずき母と一緒になって窓枠をなでていた。
てっきり「坊やも痛かったからこの柱をたたいてやろうね」という光景を想像していたが、そうはならなかった。
なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることによって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた。
三つ子の魂、百までとやら、母の子に与える影響ほど絶大なものはない。相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。
光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし己も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。
光に向かって100の花束 p19
感想
人生の苦しみに出会ったときに、苦しみを与えたと思われる相手を責めてしまう。しかしそれではダメだという。相手の立場を理解することが大事。
しかし、それはなかなかできることじゃない。相手のことを悪いと思ったら相手の立場など考えず責めることしか考えなくなってしまう。
僕自身、嫌いな人に対しては相手の立場など考えず責めることしか考えない。嫌いな人の粗探しをして悪口を言ってしまうし、何か不幸なことでも起こればいいのにと、考えてはいけないことまで頭に浮かんでくる。
このままだったら未来は地獄しかない。でも地獄へはいきたくない。じゃあどうすればいいのかというと、浄土へ向かうためには自利利他の大道を進まなければならない。そのためには自分の弱い心と闘わなければならない。
自利利他の大道は、とても険しい道のように感じるが一歩ずつでも進んでいきたい。
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