界隈
最近、~~界隈という言葉が流行っています。学校のクラスでも同じような似た者同士が集まってグループを作ったりします。そういうのを界隈といいます。
アイドルが好きな人はアイドル界隈、アニメが好きな人はアニメ界隈、スポーツならばアスリート界隈など類は友を呼ぶと昔からいいます。
なぜ同じ者同士が集まるのかというと、2つの観点からいえることがあります。
その① 朱に交われば赤くなる
仏教では縁によって人間とはどうにでも変わることができると教えられます。付き合う人、周りの環境によって自分というのは変わることができる。
周りがサボってばかりいる人ばかりだとしたら、自分だけ生真面目にやっているのがバカらしくなって辞めてしまうことがある。
逆に大谷翔平選手のようなスーパースターに学びたいとドジャーズに憧れるメジャーリーガーが多くいる。そこには練習や日常生活や普段の心がけを学びたいと向上心のある人が集まる。
よい縁に刺激を受けて自分も向上できることもあれば、悪い縁に影響されて自分もダメになってしまうこともある。人間は縁によってどうにでもなる。
だからおのずと似た者同士が集まってくるようになる。
その② 類は友を呼ぶ
自分と同じような人が寄ってくるといえる。これは自分の業によるものです。自分の業因といって自分の今までやってきた行いが力となっていろんな人を引き寄せてくる。
例えばAI(人工知能)を使って将来起業したいと思ったならば、そういう本を読んだりネットのサイトやSNSで繋がったり、朝活などに参加したりという行動を起こす。そうなると当然、同じようにAIに可能性を見いだしている人たちや将来起業したいという気持ちのある人と友達になったり縁を持つことになる。
自分が行動を起こすと周りから寄ってくるということがある。これはよい面だけでなく悪い面でもある。
例えば自分が愚痴っぽい人は上司の悪口や会社の非難ばかりする人には、同じような人が集まってくる。そういう人たちが集まると酒を飲んで上司の悪口、会社の悪口で盛り上がることなる。
これは類は友を呼ぶで同じタイプの人が集まってくるということ。
こんな人と接したい、友達になりたい、と思うならば憧れるような人の行動を自分がするように心がけることです。人に与えたい、貢献したい人と近ずきたいならば、自分が与える人、貢献する人になることです。
誠実な人と付き合いたいと思うなら自分が誠実になる。
どんな人が自分の周りにくるかは、自分がどういう行動をとるかということで決まってくる。
盤珪
江戸時代前期の禅宗の僧侶に盤珪という人がいた。その盤珪のエピソードにこんなものがある。
禅僧・盤珪が雲水のころである。毎夜、千住の磔柱のもとにいって座禅をしていた。ある朝、座をたち、近くの馬場の土手で休んでいると、一人の武士が、馬のけいこにやってきた。それとなく見ていると、どうやら馬のごきげんが悪く、武士の思うようにならぬらしい。どなりながら武士は、しきりに馬を責めている。それをみた盤珪。
「なんのざまだ!」と大喝した。それを耳にもかけぬふうに武士は、ますます馬に鞭をあてる。
「ええ、なんのざまだ!」二度三度の大声に、ようやくふりかえった武士は、馬から飛び下り、静かに盤珪に近づいてきた。
「貴僧は先ほどから、どうやら拙者を叱っておられるようだが、教えることあらば、承りとう存ずる」すこぶる言葉は丁寧だが、返答次第によっては、の気迫がありありとうかがえる。毅然そのとき、こう盤珪は諭した。
「馬がいうことを聞かぬといって、馬ばかりを責めるのは、いたって愚かなこと。馬にも馬の事情があるはず。馬にいうことをきかそうと思うなら、馬がいうことをきくように、しむけてやらなくてはならぬ。まず、自分を改めることが一番じゃ。おわかりかな」
謙虚で賢明な武士であったのだろう。深くうなずき一礼して退き、態度を改め、ふたたび馬上の人となった。ところがどうだろう。馬が変わったように、騎手の命ずるままになったではないか。私がこうなるのは、夫が、妻が、子供が悪いからだと、他人ばかりを責めている間は、真の平和は訪れない。まず自分を反省し、己の姿勢を正すことが肝要。己を変えれば、夫も妻も子供も、みな変わる。家庭も明転すること、うけあいだ。
これは「光に向って百の花束」とう本の中のエピソードです。
武士と馬の関係は武士は自分で馬は人(夫、妻、子供、上司、部下)にあたります。その人がゆうことを聞かないからといってその人ばかりを責めるのは至って愚かなこと。
その人にはその人の事情があるはずです。その人に言うことを聞かそうと思うなら言うことをきくように仕向けてやらなくてはならない。まず自分を改めることが一番だということです。
自分が変ると周りも変わる。自分が変らなければ周りも変らない。これが仏教精神です。
六度万行
自分をどのように変えれば人に恵まれるのか、ということを仏教ではどう教えられているか。それが六度万行という教えです。お釈迦様が教えられた六つの善い行いのことです。
布施 親切
持戒 言行一致
忍辱 忍耐
精進 努力
禅定 反省
智慧 前の五つを総称して身の修養に努めること
これを実践すれば周りの人に恵まれるようなる。自分がそういう行動をしていれば、そういう人が集まってくる。
自分が与える人になれば、与える気持の強い人が集まってくる。
自分が誠実な行動をとれば誠実な人が集まってくる。
自分が穏やかになれば、穏やかな人が集まってくる。
自分が努力、向上する人には努力家、向上する人が集まってくる。
自分の非を認めて謝る人には、自分の非を認めて謝る人が集まる。
アイツのせいだコイツのせいだと人を恨んだり憎んだり妬んだりすることなく、自分がどうすればよかったんだろうと考えて行動する人は同じようにそういう人が集まる。
六度万行の反対は次のようになる。
慳貪 人から奪うことしか考えていない人
破戒 不誠実で嘘をつく人
瞋恚 すぐ怒る人 怒りっぽい人
懈怠 怠ける人 サボる人
散乱 謝れない人
愚痴 人を恨んだり憎んだり妬んだりする人
自分がどういう行いをするかによって周りに恵まれるかどうかというのが決まると教えるのが仏教の教えです。
感想
自分の行い次第で自分の周りに集まってくる人がきまる。優しくて誠実な人が集まって欲しいと思うなら自分が優しくて誠実な人になればいい。相手に求めるのではなく自分がそういう人間になれるように努力する。
人に恵まれる人は「人柄」が良い人だと言われるが、「人柄」の良い人には「人柄」が良い人が集まる。だからチャンスや幸運を運んできてもらえる機会が増える。その結果、さらに「人柄」のよさが磨かれるという好循環が生まれる。
だから絶えず、自分の人間性、を磨くことに努めればおのずと周りに集まってくる人もよくなってくる。それは恋愛においてもいえることだと思う。理想の相手がいるのなら自分がその理想の相手と同じレベルになれるようにする。そうすれば理想の相手が自分に振り向いてくれることになるだろう。
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