ℚ 仏法に卒業はないと寺で聞いたことがあるのですが、菊谷さんからはここが仏教の卒業ですとも聞きました。どうなのでしょうか?
後生の一大事
仏道に完成があるというのは「後生の一大事」の解決をするという目的が完成するということ。
仏教は何のために求めるのかということが、今日の仏教界では曖昧になっている。
仏教は後生の一大事を説く教えです。仏教は後生の一大事を知るところから始まり、そして後生の一大事の解決で終わります。
後生の一大事とはどういうことか?
後生とは死んだ後のこと。死んだ後どこへいくのかが大問題だから後生の一大事といいます。
後生の一大事を解決するためには、大悲の願船という大きな船に乗せて頂くことです。
大悲の願船に乗せて頂ければ、極楽浄土へ往くことができる。
親鸞聖人は生きているときに後生の一大事が完成できることを平生業成といいました。
仏恩報謝
大悲の願船に乗せて頂くことができたのは、阿弥陀仏、お釈迦様のおかげです。
親鸞聖人はこういわれています。
釈迦弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
願作仏心とは信心決定、後生の一大事が解決したこと。阿弥陀仏とお釈迦様の慈悲によって私たちは救われる。だから阿弥陀仏とお釈迦様への感謝が溢れでてくる。
その感謝の気持ちをあらわしたお歌を恩徳讃という。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
親鸞聖人は29歳で信心決定されてから90歳で亡くなられるまで仏恩報謝に捧げられた一生でした。
仏恩報謝には永久に卒業はない。
感想
仏教を聞く目的は後生の一大事を解決すること。後生とは死んだ後のこと。死んだ後極楽浄土へ往ける身になれたなら、安心することができる。
後生の一大事は仏教の教えを聞くまで考えたことがなかったし、言葉自体も知らなかった。そしてその解決ができることも知らなかった。解決するためには聴聞に極まるといわれる。
聞き続けることで、阿弥陀仏の本願に対する疑いがなくなり救われるという。だから「疑心あることなし」になるまで聞き続けよという。
これからも続けて聞いていきたい。
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