書籍
著者 伊藤健太郎
昭和44年、東京生まれ。東京大学大学院修士課程修了(専攻 科学哲学)。哲学者。
著書『なぜ生きる』(共著)『男のための自分探し』『親鸞聖人を学ぶ』(共著)
はじめに いかなる絶望にも、希望は注がれている。 運命は信ずるものではなく、切り開くものだから……
どうして私が……。なぜ私だけが……。
人生に、これほど頻繁に浮かぶ問いも少ないでしょう。どれだけ考えても分からない時、人は「これも運命だ」「運が悪かった」と言ってあきらめます。しかし、「運命」とは何でしょうか。それが分からなければ、「なぜ私が」に答えたことになりません。考えてみれば、そもそも「私」がこの世に存在しなければ、「どうして私が」と苦しむこともありませんでした。なぜ私は、「この私」に生まれたのか。
別の時代、他の国に、違う人間として生まれていたら、味わう幸せも、降りかかる不幸も、全く変わっていたでしょう。一人一人が、この顔形、性格、才能で生まれるというい定めを、誕生と同時に背負ったのです。だから運命を持たぬ人は、一人もいません。では誰が、私の運命を決めたのでしょうか。神か悪魔か人間か、偶然のいたずらなのか。これこそ全生涯(来世があるなら来世まで)の命運を左右する、根本問題です。
本書はさまざまな哲学者が紹介されています。古代ギリシャのソクラテスからフランスのサルトルまでの哲学の流れを踏まえつつ、運命についてどのうように考えられていたのかがわかります。
そして、仏教の開祖ブッダの運命に対する考え方はどのうようなものか。ブッダの教えの基本は因果の道理です。因果の道理を正しく理解すれば運命の仕組みがわかり、運命は自分で変えることができます。
この本のなかで僕自身が心に残ったところを3つ紹介します。

他人を恨むと、憎しみが憎しみを呼び、新たな不幸を生むだけ 「因果の法則を知って、恨みから離れなさい」とブッダは教える
自分の業(行為)が目に見えない力となって残り、そこに引き金となる条件(縁)が結びつくと、幸福や不幸という「目に見える結果」を生み出す。これが「因縁果の道理」ですが、行為(因)の後、すぐ縁がやってくるとは限りません。だから善いことをしても、必要な縁がそろうまでは、善果(幸せ)は現れませんし、それどころか悪い報い(不幸)のほうが、先に引き起こることもあります。
(中略)今の行為の結果を来世に受けることもあれば、反対に、前世の業の報いが、今生で現れることもあると、ブッダは説いています。遠い過去に殺したり、罵ったり、盗んだりした報いが、めぐりめぐって今、現れたら、それが自分の罪の結果だとは、とても思えないでしょう。そんな時は、他人を恨む心しか出てきません。しかしそれでは、憎しみが憎しみを呼んで、新たな不幸を生むだけです。だからブッダは、早く因果の道理を知って、恨みから離れなさいと諭しています。
善い行いをしても、すぐに幸せになることはないし、逆に不幸がくることもある。そんなときは過去にやった悪い行いが今現れたんだと考えることで他人を恨むことがなくなるという。
過去にやった自分の悪い行いのことなどほぼ覚えていないけれども、自分に現れた結果がすべてを物語っている。不幸がきたのなら、その原因となる行いをしていたと素直に反省するしかない。
誰も見ていなくても、善いタネをまき続ければ、必ず、幸せの花が咲く
誰しも不幸や災難は来てほしくないですから、「悪因悪果 自因自果」の道理を知った人は、他人が見ていようと見ていまいと、悪を慎む努力をします。
因果の道理に従う人は「見つかりさえしなければ、悪いことをしても平気だ」とは考えません。いくら人間の目をごまかそうと、悪を犯したならば必ず報いがあるからです。
誰も見ていなくても、よいタネをまけば、必ず幸せの花が咲きます。因果の道理を知った人は、目先の結果に一喜一憂せず、堅実に努力するようになるのです。
悪いことをしてもバレなければいい、と考える人もいるけれども因果の道理を知っていれば、必ずバレることがわかる。自分のやった行ないは自分に返ってくるからだ。
誰にも知られずに善いことをするのはなかなかできないが、善いことをすれば必ず善い結果が自分に返ってくる。このことを知っているのと知っていないのでは、その人の行動は大きく違ってくる。
誰も見ていなくも悪いことは慎み、善いことをするように心がけていけば必ず幸せになれる、それが因果の道理をよく理解した人の行動になるといいます。
自分の行為が、この世と来世、二つの運命を決める。「因果の法則」に従い、悪を慎み善に向かえば幸せになれる、とブッダは説いている
ブッダは、最も大切なのは自分なのだから、瞬時も無駄にせず、自己を守りなさいと勧めています。
では、自分を守るには、どうすればよいのでしょうか。どんな人も、最後は一人きりです。親も親族も助けてはくれません。
(中略)死に襲われた時、何を持っていけるでしょうか。誰が連れ添ってくれるでしょうか。必死にかき集めた財産も全て、捨てていかなければなりません。しかし、ちょうど影が体に添うように、業だけはついてくるのです。だからこの世で功徳(善)を積みなさいと、ブッダは勧めています。
自分の行為が、この世と来世、二つの運命を決めると教えるのが、「因果の道理」です。
死ぬときにはこの世で手に入れたものは全て置いていかなければなりません。しかし、自分の業だけは持っていくことができるという。
生きているうちに善い行いをすれば、この世だけでなく来世でも善い結果をうけることができる。しかし悪い行いをすれば、この世で不幸になるし、来世も悪い結果を受けることになる。
生きているうちに少しでも多く善い行いをしようという気持ちにさせられます。

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