超二流 天才に勝つ一芸の究め方

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書籍

著者 野村克也

1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年、テスト生として南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団。3年目でレギュラーに定着すると、以降、球界を代表する捕手として活躍。1970年からは選手兼任監督となり、その後、選手としてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズに移籍。1980年に45歳で現役を引退、野球評論家となる。27年間の現役生活では、1965年に戦後初の三冠王になったのをはじめ、MVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などのタイトルを多数獲得した。1990年にはヤクルトスワローズの監督に就任し、1998年までの在任期間中に、4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝く。1999年から2001年まで阪神タイガースの監督、2002年から2005年まで社会人野球シダックスの監督兼GM、2006年から2009年まで東北楽天イーグルスの監督を歴任。楽天ではチームを初のクライマックスシリーズ出場に導く。

まえがき

「超二流」という言葉は、私の尊敬する三原脩監督が作りだしたものだ。

一流になるためには、生まれ持った素質や才能が欠かせない。もちろん、プロ野球選手なら誰しも才能は持っているだろう。だが、その中でも一流になれるだけの才能を持っている選手はそうはいない。誰もが長嶋茂雄のようになれるのか。大谷翔平のようになれるのか。そういうわけではないことは、読者の皆さんにも分かっていただけると思う。

もちろん彼らも才能だけで一流になったわけではない。プロフェッショナルの世界は、才能だけで一流になるほど甘くない。それはどんな職業でも同じだと思うが、プロ野球の世界なんてその最たる場所だろう。だから一流と呼ばれる選手たちは、持って生まれた才能をもとに、血の滲むような努力を積み重ねたはずだ——

本書は野村克也さんが野球人生で経験して得られた哲学が語られています。自分の強み、長所と短所を理解して、強みを活かせるように頭を使うことを「超二流」と定義します。

一流にはなれないけれど、「超二流」ならば努力次第で誰しもがなれるとノムさんはいいます。そして「超二流」は時には超一流、一流を凌駕することもできる。

本書の中で僕が心に残ったことを3つ紹介したいと思います。

二流だからこそ「謙虚」でいられるという強み

自分のことをすごい選手だ、一流だ、と勘違いしてしまったら、そこで努力をしなくなるし成長は止まってしまう。頭を使って工夫しようとすることもなくなるだろう。貧乏性がゆえに、いつも謙虚に努力して工夫することができた。それが、プロ野球の世界で長くやれたことにつながっているのだと思う。

(中略)自分には才能があるなどとおごらないから謙虚さを忘れず、努力を続けることができる。

野村克也さんが野球選手として、あれだけ活躍できたのは決して努力を怠らなかったからだと思うが、それは常に謙虚であり続けたからでもある。

自分には才能がないと思うことで、いっそう努力に励むことができる。普通なら、才能がないからやめる、と努力をやめてしまうことが多いと思うがそうではなかった。

努力を継続することでさらなる成長をすることができる。

一流こそ基礎を怠らない

「おい、野村、バットを振るだけで一流になれるのなら、皆一流になってるよ。この世界は素質と才能だよ。素振りなんていいから着替えてこい、キレイな姉ちゃんがたくさんおるとこ行くぞ」こんなことを言って誘惑してくる。

確かにいくら素振りをしたって、それですぐに効果が出て打てるになるなんてことはない。繰り返すが努力に即効性はないからだ。だけどその努力を怠っていると、基礎が身についていないから、結局からっぽのままだ。

(中略)1年ぐらいで結果が出るわけでもないし、素振りを続けていって一流になれるかどうかは分からない。ただ、間違いなく言えるのは、一流のバッターは皆バットを振っている、振り続けているということだ。そして何年も努力を積み重ねて身につけた基礎は、大きな武器となる。

努力はすぐに現れることはないが、一流の人は皆必ず努力しているという。コツコツと地味な努力はなかなか人に認められないが、しかしそれは大きな武器になる。

努力をしても結果がでなかったら努力なんて意味がない、と言う人もいるが本当にそうだろうか。努力に即効性を求めてしまいがちだが、努力に即効性はない。

結果がでるまで努力を続けることで、ようやく努力をしてきてよかったと思うことができる。

「プロセス」を見直し「徹底させる」

私はよく「プロセス重視」と口にするが、正しいプロセスを踏むことなく、好結果に辿り着けると思っていない。

(中略)プロ野球でも一般の企業でも、最終的な判断基準となるのは「結果」だ。これは、動かしがたい事実だろう。しかし、この「結果」はそもそも「プロセス」そのものが正しくなければ出るはずもない。そして、その「プロセス」さえ見つかれば、私は結局「徹底できる人」こそ、一番強いと思っている。ただその「徹底の仕方」を間違ってはいけないという話だ。

あのイチローだって「努力の天才」と形容されることがあるが、つまりは「正しく徹底し続けた」ということで、偉大な結果を残せたわけだ。

よい結果を出すためには正しいプロセスが大事になってくるという。プロセスが間違っていたら、どんなに努力しても悪い結果になってしまう。

正しいプロセスを見つけるためには、さまざまな思考錯誤がいると思う。失敗を何度も繰り返してようやく見つけることができる。

失敗のない成功はないし、失敗が多い人ほど経験値も高くなるので、失敗をすることは財産だといえると思う。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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