要約
お釈迦さま = 仏
→ 35才で仏の悟りをひらかれる 80才で亡くなるまで45年間説かれた教えが仏教
→ 仏の悟りをひらかれて最初に教えたことは人生は苦なりということ 生きることは苦しいこと
→ その苦しみを抜き本当の幸せを与える、これが仏教の目的
抜苦与楽 苦しみを抜き幸せを与える
仏教で教える4つの苦しみ
→ 生苦 老苦 病苦 死苦
お金や地位、家族、名声、美貌、才能、これらは若さと健康が土台になっている。年をとり、病気や老いによってこれらは不安手になる。
仏教には老病死を超えた本当の幸せがあることを説かれている
親鸞聖人 老病死を超えた本当の幸せを不体失往生といわれた
不体失往生 生きているとき往生できる
親鸞聖人は苦しみの人生を難度海にたとえられた。生きることは難度海を泳ぐこと。難度海には苦しみの波がやってくる。その難度海に大きな船があるといわれる。大悲の願船という。この大悲の願船にのることこそが人生の目的だと教えられた。
大悲の願船に乗せていただくと、苦しみ悩みの人生が明るい幸せな人生に、がらりと変わる。それを絶対の幸福という。不体失往生とは絶対の幸福のこと。また信楽ともいう。
絶対の幸福になれた人は死んだら浄土へ往って仏に生まれることができる。これを体失往生という。
体失往生 死んでから往生できる
どうしたら不体失往生になることができるか
仏法は聴聞に極まる
感想
お釈迦さまは、仏の悟りをひらかれて人生は苦なりと説かれた。その苦しみを抜いて幸せを与えるのが仏教だという。老病死を超えた本当の幸せがあるのなら、誰だってその身になりたいと思うだろう。
親鸞聖人は人生を難度海とたとえられた。また生死の苦海ともいう。すべての人は生まれたと同時に苦しみの海にほうりだされたことと同じだとたとえられる。海には板切れや丸太ん棒が浮かんでいる。それがお金や地位や家族や名声、美貌、才能のこと。板切れや丸太ん棒にすがることで、一時的には安堵できるが苦しみの波がやってきて板切れや丸太ん棒はひっくり返り、塩水を飲んで苦しむことになる。そんな海に大きな船があるといわれる。それが大悲の願船という船だ。大悲の願船に乗せていただくことができれば、苦しみの人生が明るく幸せになることができるという。
仏教では絶対の幸福になることを目的としている。それが老病死を超えた幸せだと説かれる。死んだら浄土へ往って仏に生まれることが定まる。これこそが、お釈迦さまや親鸞聖人が生涯教えられたことだといわれる。仏教とは苦しみを抜いて幸せを与える教えだが、死という一番の苦しみを抜いて浄土へ往くという幸せを与える、これこそが最も仏教のなかで重要な教えだ。
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