要約
サバイバル番組
→ テレビ番組のジャンル 砂漠で一週間生活するというのがある
サバイバル生活で初日にやららなければならないこと
→ 水場を探す 生活するば場所の近くにあるか
→ 寝る場所 寝るときに肉食獣に襲われないところかつ寒さをしのげるところ
次の日
→ 狩りをする
より長く快適に生きるためには
→ 集団で住む 働く 評価 娯楽
生きることには一生懸命
生きるために生きている どこに向って生きているかが明らかにされていない
→ 生きることは楽しいことだけじゃない 苦しいことが多い
何のために生きるのか?
みんなどう生きるかしか考えない
生きる目的とは
→ 家族 仲間 事業 スポーツ 芸術
これらは生きる目的ではなく生きがい
→ 生きる力になるもの 支えになるもの
→ 一時の達成感はあるがやがて失望に変わることもある
死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 (太宰治)
人間は将来にあかりを見いだして生きていこうと思う
難思の弘誓は難度の海を度する大船 (親鸞聖人 教行信証)
→ 苦しみの海にいる私たちを明るく楽しく渡しきる大きな船がある
→ この船に乗ることが生れてきた目的なのだといわれた
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば (親鸞聖人)
光明の広海 = 摂取不捨の利益 絶対の幸福
感想
何のために生きるのか。生きる目的とは何か。それをあきらかにしたのが親鸞聖人だという。仏教をよく聞かなかければわからないことだ。生きる目的を生きがいと混同しがちだがそれは明確に違う。生きがいとは、どう生きるか、であり生きる目的は、なぜ生きるか、の違いだ。
親鸞聖人は人生を海にたとえた。苦しみの海にいる私たちを明るく楽しく渡す、大きな船があるといわれた。この船に乗ることが生れてきた目的だという。この船に乗ることができれば、死んだら浄土までつれていってもらえる。だからこの船に乗らなければならない。
なぜ生きるかがはっきりすればどう生きてもいい、自由に生きればいいということだ。
仏法は聴聞に極まる。
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