トートロジー
・ 何のために生きているのか? 生きる目的とは? と聞かれたときにそれは生きることだ、生きるために生きている、という答えはトートロジーで何も言っていないのと同じです。
・ 例えば図書館で勉強している友人を見つけた。友人にどうして勉強しているの? と聞いたときに明日試験があるからだ、と答えた。これなら質問に対しての答えになっている。
・ 資格試験を目指している、だから勉強している。これもわかる。
・ しかし、何で勉強しているの? と聞かれ、勉強するために勉強している、という答えは答えになっていない。意味がわからない。
・ 自分の友人にダンス教室へ通っている女性がいた。どうしてダンス教室へ通っているのか? と聞いたときにダンサーになりたいからという答えならわかる。あるいはダンス教室に素敵な人がいるから。その人に会いたいからダンス教室へ通っている、というのならわかる。
・ ところがダンス教室へ通うためにダンス教室へ通っているでは意味がわからない。これをトートロジーといい、反復同義という。同じことを繰り返しているだけで何も答えていない。
・ 同じように、なぜ生きているのか? と聞かれて、生きるために生きている、では何もいっていないのと同じです。
・ 生きること自体に意味はあるという言葉は、時に人を励ますことになることはわかります。生きていても苦しいことが多くて、自分なんか何の取り柄もないと落ち込んでいる人がいる。自分には才能もないし、こんな容姿だし、場合によっては身体に障害を負っている。こんな自分は生きていてもしょがない、と自信を失っている人に、生きているだけで立派な意味がある、と言われると励まされたような気持になる。
・ だけど、本当に生きることが苦しくなってしょうがない人、例えばガンになって抗がん剤で食べる物も食べられない、常に吐き気と苦しみを訴えている人。ガンが進行していき死が待っている、そんな状態になっている人に生きているだけで意味がある、生きていること自体に意味があると言えるか。何の意味があるのか? もうすぐ死んでいくのに頑張って生きていくことにどんな意味があるのか?
・ 苦しくても生きなければならない理由とは何か? それが生きるためというのは答えになっていない。
・ 生きるために生きるという人は多いが、歩くために歩くという人はいない。歩いている人には目的がある。コンビニに行くとか、駅に行くとか、気分転換に散歩とか。目的なしに歩いている人は一人もいない。歩くために歩くでは充実感は感じない。
・ 水平線に向ってただ泳ぐために泳ぐ。泳ぎ続けるのが大事なんだといわれて、頑張って泳ごうという気持ちになれるか。泳ぐために泳ぐ人の未来は、泳げなくなって溺れるだけ。
・ 泳いでいる人にとって大事なことはどこに向って泳ぐか。どこに向って泳げば泳いできてよかったといえるか。方角が大事。それを少しも教えずにとにかく泳ぎ方ばかり問題にしている。
・ 生きるために生きるというのは、死なないように頑張って生きるということ。その末路はどうなるか。死ぬだけです。これ以上は生きれませんという末路があるだけ。
◇ 生きるのが楽しいならば、生きるために生きているのもありだが、生きることはいろいろ煩わしいこと、辛いこと、いろいろある。働かなければならないし、人間関係も大事。体力も、健康も、技術もいるし、お金も大事。そうやって生きていくのは何のためか。

ルソー
人間は呼吸するために生きているのではない。何かをするために生きているのだ (ルソー)
・ ルソーはフランス革命に大きな影響を与えた思想家といわれている。こういう言葉に触発された人は多かったかもしれない。
・ 人間は生れたとき、オギャーと産声をあげるのは、呼吸をするため。呼吸をすることが生きることの始まり。息をするのは簡単なことじゃない。
・ 私たちは当たり前のように息を吸ったり吐いたりしているが、呼吸することは当たり前じゃない。
出息入息 不待命終 (お釈迦さま)
・ 死ぬときには、出る息は入る息を待たずに命は終わる。吐いた息が吸えなかったら、吸った息が吐けなかったら待ったなしで死んでいく。
・ 最後に死んでいくときは呼吸ができなくなって死んでいく。
◇ 呼吸をするために生きているのではなく、何かをするために生きている。それでは何をするために生きているのか? ルソーは人間の生きる目的は何かを問うている。
出世本懐
・ 仏教では人生の目的を「出世本懐」という。出世とはこの世に生まれ出たということ。生れてきた、ということはこの人生という舞台に入ったということ。
・ 本懐とは、この世に現れた究極の目的のこと。
・ 出世の本懐とは、この世に生まれ出た目的のこと。何のために私たちはこの世に生まれたのか。なぜ生きているのか。
・ いつか、この人生という舞台から降りなければならないときがくる。限られた生きている間、何のためにこの世に出てきたのか。これ一つ達成できたらいつ死んでも悔いなしといえる出世本懐とは何か。
・ 人生はいろんなことができる。結婚したり、仕事をしたり、海外旅行したり、趣味をしたり、いろんなことができる。それらのなかで何をするために私は生れてきたのか。
◇ 人生の苦しみに耐えても、なお生きるのは何をするためか。それが人生の目的。出世の本懐。それがはっきり教えられているのが仏教という教え。お釈迦さまの教えのなかに答えがあります。

感想
自分は何をするために生きているのか。人生の目的は何か。これを普段意識して生活できている人は、そうとう意識が高い人だといえる。ただ、生きるために仕事をしておカネを稼いでいるだけという人がほとんどではないだろうか。
これさえ果たせばいつ死んでも悔いが残らない、といえるものは何だろうか。生きているうちにやりたいことを全部やればいつ死んでもいいのか。しかし命は有限だから、全部やることは不可能だと思う。
仏教には出世の本懐、人生の目的が教えられているという。それは絶対に崩れない幸せになることと教えられる。そんな幸せは、仏教以外に誰も教えていないし、存在すら知らない。
今の自分に、人生の目的がはっきりとしていない人には仏教を学ぶことをおススメします。仏教の教えに驚くこと間違いないです。
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