要約
正信偈はお経ではない
→ お経とはお釈迦さまの言葉を書き遺したもの
→ 正信偈は親鸞聖人が書かれたもの
→ 正信偈には親鸞聖人90年間の教えすべてが収まっている
正信偈とは正しい信心の偈(うた)
信心とは宗教に関することか?
→ 特定の神や仏を信じることだけが信心だと思われている
→ 信心とは心で何かを信じること
→ 神や仏だけではない
信じるとは言葉を変えればあて力、支え、頼りにしていること
→ 夫は妻を頼りにしている 妻は夫を頼りにしている
→ 親は子供を頼りにしている 子供は親を頼りにしている
→ お金を頼りにしている
→ 知識を頼りにしている
→ 思想を頼りにしている
→ 命を頼りにしている
これらは信心といえる 人間は様々なことを信じて生きている
→ 何かを信じていなければ生きてはいけない
→ 何を信じて生きるかが重要
人々は信じているものに裏切られたとき苦しむ
→ 健康に裏切られたとき
→ 子供に虐待されたとき
強く信じていたものに裏切られると苦しみも大きい あまり信じていなければ裏切られても苦しみは小さい
裏切りるものを信じていたら苦しんでしまう
裏切らないものとはあるのか?
本当の幸せになりたかったら正しい信心を持つこと
仏教ではどう教えられているか?
獲信見敬大慶喜
獲信 = 信心獲得
→ 正しい信心とは阿弥陀仏から頂くもの
→ 正しい信心は自分で作るのではない
生きているとき平生の一念で信心を頂く、それが摂取不捨の利益とも絶対の幸福ともいう。
感想
人は何かしら信じなければ生きてはいけない。しかし、裏切るものを信じていたら必ず苦しみがやってくることになる。普段、あて力、支え、頼りにしているものは絶対に裏切らないといえない。いつかは裏切るときがやってくるものばかりだ。
学生時代、自分には文学や映画の才能があると思っていたことがある。将来、直木賞をとると真剣に信じていた。自分なりに努力したが、まったくだめで新人賞すらとることができなかった。夢を信じていれば必ず叶うと思っていたが、自分には才能がなかったとわかったとき、ひどく落ち込んだ。徳永英明の「夢を信じて」という歌がとても好きだったが、僕には夢は叶えられなかった。
仏教では絶対に裏切ることのない信心が教えられている。それが阿弥陀仏から頂く信心だという。自分の中でつくる信心ではない。それを摂取不捨の利益といい、今日の言葉では絶対の幸福という。もし、絶対に裏切ることのない信心を獲ることができなたら、安心でいられる。
絶対に裏切らない信心を求めて、聴聞を続けたい。
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