普通の人がいいという願望

要約

いい出会い

→  20代男性 大工で働いている

→  昔は不良だった

→  結婚した妻のおかげで更生ができた

悪い出会い  仏教では煩悩 色欲 愛欲

→  セクハラ

→  ストーカー

→  不倫

→  犯罪

韓国の言葉

→  自分の場合はロマンス 人の場合は不倫

運命の人願望  自分の理想のタイプの異性を求める

→  映画、ドラマ、小説の影響がある

→  こんなことを言ってほしい、やってほしい 思ってほしい

普通の人がいいという願望

→  性格、話題、収入、顔、体型、ファッション、趣味、金遣い、家事、マザコン、これらが普通以上がいい 

→  普通の人はプレミア

→  いくつかの不満には目をつむる

愛は心の底にしみとおる幸福ではあるが、あらゆるものを破壊する不幸ともなりかねない  (ヒルティ スイスの哲学者)

幸せとは山の頂のようなもの

幸せの山が高ければ高いほどその山から落ちたときにけがをする

→  理想の人に裏切られないか不安がつのる

→  相手を試す 相手のいいなりになる 相手を束縛する

幸せの山が低ければ山から落ちてもそれほど苦しみはない

→  それほどでもない相手だから不満がつのる

感想

恋愛においていい人に出会いたいと誰もが思うだろう。理想的な人はなかなかいなから、普通の人でいいと思いがちだが、その普通の人というのがなかなかいない。普通の人のハードルはかなり高い。

僕自身はそれほど恋愛をしてきたわけではないが、好きになるタイプはだいたい同じだ。笑いのツボが合うかどうか、オシャレが好きかどうか、食べ物の好き嫌いがあまりない、この三つぐらいがそろっていれば理想的だ。

しかしあまりにもいい人と出会ってしまうとその人を失う不安がつきまとうし、かといってそれほどでもない人を選んでしまうと、雑に扱ってしまうかもしれない。

仏教では愛別離苦という教えがある。愛する人と別れる苦しみだ。誰もが経験したことがある苦しみだと思う。また、仏教では恋愛は色欲といい煩悩の一つにかぞえられる。人は煩悩によって苦しむと教えられる。

恋する人、愛する人ができるとどういう苦しみが起こるか、それが仏教には説かれている。

仏教ってこんなに身近なことも教えられてるんだ、と再発見すること間違いなし。

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