要約
誰かの文句を聞かされた場合、その発言を否定やたしなめることを言うと人間関係は悪くなる
→ 文句ばかり言う人は自分の考えでこうに違いないと思いこんでいるから
→ それに対して否定すると、火に油を注ぐことになる
誰かの愚痴や文句を聞くという行動は布施になる
→ 布施というのは人に親切すること
→ ひたすら聞くことも優しさの一つ
文句ばかり言う人は餓鬼という
→ 自分の欲求ばかり言う人
→ 子供のことを餓鬼というが、子供は不平不満ばかり言うから
餓鬼の反対に与える人を旦那という
→ 旦那とは今では夫のことをいうが、元々は布施のことをサンスクリット語でダーナといい、そこから与える人のことを旦那というようになった
人生が一番苦しくなる人間関係のパターン
餓鬼対餓鬼
→ お互いが文句ばかりを言い合う
旦那対餓鬼
→ 文句を言う相手とそれに与える人
一番うまくいくパターン
旦那対旦那
→ 相手の立場にたって与えられる関係
餓鬼はいつまでたっても餓鬼ではない。旦那に支えられてやがてその人も旦那になるのが理想。
自分に対して何か文句を言ってきた場合
→ 文句を言うのは相手のできていないところを見つけるのがうまい人であり、相手の長所を見つけるのが下手な人といえる
→ 少なからず的を得ていることもあるので受け止めることも大事
→ 文句がまったく的を得ていない場合、スルーするかその人から遠ざかることも大事
悪をこのまん人には慎みて遠ざかれ、近づくべからず (親鸞聖人)
感想
誰かに対しての文句というのは必ずあるものだ。もっとこうしてくれればいいのにとか、なんであれができないのかという文句は職場でも家庭でもよく聞く。聞く方はあまり気持ちはよくないが、言った方は少しは気持ちが楽になるということがある。いわゆるガス抜きで、小さくガス抜きをしていれば大きな爆発を防ぐことができる。
人の文句や悪口ばかり言うことは、相手の欠点や悪い点や短所を必死になって探し出すことといえる。心理学の研究ではそれは他人に対する「ネガティブな観察力」が鍛えられてしまうことになり、その「ネガティブな観察力」は自分に対しても無意識に向けられ、自分の中のネガティブな部分を発見して自己肯定感をさげてしまうことになるといわれる。文句や悪口ばかりいうと幸せが遠のいてしまう。
仏教では文句を言い、自分の欲求ばかり求める人を餓鬼という。それに対して与える人のことを旦那という。餓鬼も旦那も日常生活で使う言葉だがその語源は仏教にあったことを知らない人は多いだろう。仏教を学んでいると、仏教の中で教えられていた言葉が日常生活の場で使われるようになったということがたくさんある。その言葉の本来の意味を知るととても勉強になるし面白い。仏教を学び続けることの隠れた面白さの一つといえる。
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