要約
真の知識にあうことは 難きが中になおかたし (親鸞聖人)
→ 正しく仏教を教える人にはなかなか会えない
曠劫多生のあいだにも 出離の強縁知らざりき 本師源空いまさずは このたび空しく過ぎなまし (親鸞聖人)
曠劫 = 何億年かける何億年
出離 = 流転輪廻の迷いから出ること
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり。 (親鸞聖人)
唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず (親鸞聖人)
西へ行く人に順えば西へ行くなり、東へ行く人に順えば東へ行くなり、信なき悪知識に順えば地獄へ堕つるなり、善知識に順えば仏にあえるなり。
感想
仏教をきくには、正しく仏教を教える善知識から聞かなければならない。善知識に会うことはとても難しいといわれる。
僕自身の善知識のとの出会いは転職して入った会社の上司だった。たまたま上司と仲良くなり、本の話から哲学の話になり、そこから仏教の話へと発展していった。とても面倒見のよい上司で一緒に仏教講座へ誘われていくようになった。それまでの人生で聞いたことのない話でとてもショックを受けた。その上司には感謝しかない。
親鸞聖人は法然上人と出会われるまで本当の仏教を知らなかった。9歳から29歳まで比叡山で修行されたがそこでは本当の仏教を学べなかった。だから善知識に会うことがとても難しいといわれた。
幸運にも善知識と出会うことができたのだから、その縁をこれからも大事にしていきたい。
そして今度は僕がまだ善知識と出会えていない人との縁になれるようになりたい。
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