今回から高森顕徹先生の「光に向かって100の花束」のエピソードを一つずつ紹介していきたいと思います。第一回目は「この柱も痛かったのよ うるわしき母子」です。
書籍
著者 高森顕徹
昭和4年、富山県生まれ。龍谷大学卒業。
日本各地や海外で講演、執筆など。著書『光に向かって123のこころのタネ』『光に向かって心地よい果実』『歎異抄をひらく』『歎異抄ってなんだろう』(監修)『人生の目的』(監修)など多数。
この柱も痛かったのよ うるわしき母子
かつて講演にゆく、車中の出来事である。
ちょうど車内は、空席が多く広々として静かであった。ゆったりとした気持で、周囲の座席を独占し、持参した書物を開いた。
どのくらいの時間が、たったであろうか。
読書疲れと、リズミカルな列車の振動に、つい、ウトウトしはじめたころである。
けたたましい警笛と、鋭い急ブレーキの金属音が、夢心地を破った。
機関手が踏切で、なにか障害物を発見したらしい。
相当のショックで、前のめりになったが、あやうく転倒はまぬがれた。
同時に幼児の、かん高い泣き声がおきる。
ななめ右前の座席に、幼児を連れた若い母親が乗車していたことに気がついた。
たぶん子供に、窓ガラスに額をすりつけるようにして、飛んでゆく車窓の風光を、楽しませていたのであろう。
突然の衝撃に、幼児はその重い頭を強く窓枠にぶつけたようである。子供はなおも激しく、泣き叫んでいる。
けがを案じて立ってはみたが、たいしたこともなさそうなので、ホッとした。
直後に私は、思わぬほのぼのとした、心あたたまる情景に接して、感動したのである。
だいぶん痛みもおさまり、泣きやんだ子供の頭をなでながら、若きその母親は、やさしく子供に諭している。
「坊や、どんなにこそ痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがウンとなでてあげましょうね。でもね坊や、坊やも痛かったでしょうが、この柱も痛かったのよ。お母さんと一緒に、この柱もなでてあげようね」
こっくりこっくりと、うなずいた子供は、母と一緒になって窓枠をなでているではないか。
「坊や痛かったでしょう。かわいそうに。この柱が悪いのよ。柱をたたいてやろうね」
てっきり、こんな光景を想像していた私は赤面した。
こんなとき、母子ともども柱を打つことによって、子供の腹だちをしずめ、その場をおさめようとするのが、世のつねであるからである。
なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることによって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた。
三つ子の魂、百までとやら、母の子に与える影響ほど絶大なものはない。
相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。
光明輝く浄土に向う者は、相手も生かし己も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。
うるわしきこの母子に、”まことの幸せあれかし”と下車したのであった。
感想
人生の苦しみに出会ったときに、苦しみを与えたと思われる相手を責めてしまう。しかしそれではダメだという。相手の立場を理解することが大事。
しかし、それはなかなかできることじゃない。相手のことを悪いと思ったら相手の立場など考えず責めることしか考えなくなってしまう。
僕自身、嫌いな人に対しては相手の立場など考えず責めることしか考えない。嫌いな人の粗探しをして悪口を言ってしまうし、何か不幸なことでも起こればいいのにと、考えてはいけないことまで頭に浮かんでくる。
このままだったら未来は地獄しかない。でも地獄へはいきたくない。じゃあどうすればいいのかというと、浄土へ向かうためには自利利他の大道を進まなければならない。そのためには自分の弱い心と闘わなければならない。
自利利他の大道は、とても険しい道のように感じるが一歩ずつでも進んでいきたい。
コメント