不断煩悩得涅槃とは?煩悩をなくさなくても幸せになれるという仏教の教え【親鸞聖人】

当ページのリンクには広告が含まれています。

「もっと怒らない人になりたい」

「欲をなくせば幸せになれるのではないか」

「嫉妬や不安が消えない自分はダメなのではないか」

このように悩んだことはないでしょうか。

多くの人は、煩悩をなくせば幸せになれると思っています。しかし、親鸞聖人が明かされた仏教では、煩悩をなくしてから救われるのではなく、煩悩あるままで救われると教えられています。

その真実を表した言葉が、

「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」

です。

この記事では、「不断煩悩得涅槃」の意味を、親鸞聖人の教えをもとにわかりやすく解説します。

目次

不断煩悩得涅槃とは

「不断煩悩得涅槃」とは、

煩悩を断つことなく、涅槃を得ることができる

という意味です。

一般的には、

・煩悩をなくす

・心をきれいにする

・欲や怒りを完全になくす

ことが仏教だと思われがちです。

しかし、親鸞聖人は、人間にはそれができないことを見抜かれました。

だからこそ、

煩悩あるままで阿弥陀仏に救われる道

を明らかにされたのです。

煩悩を断つことはできない

私たちは、

・欲が出る

・怒りが湧く

・妬みや嫉妬を抱く

・不安になる

・執着してしまう

そんな心を止めようと思っても止められません。

親鸞聖人は、この人間の姿を「煩悩具足の凡夫」と表現されました。

「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず

つまり、

人間は煩悩を持っているのではなく、煩悩でできている存在なのです。

だから、自分の力だけで煩悩をなくそうとしても限界があります。

煩悩あるままで救われる世界

では、煩悩がなくならない私たちは幸せになれないのでしょうか。

親鸞聖人の答えは、

「いいえ」です。

阿弥陀仏の本願によって、

煩悩あるまま救われる世界があります。

それが、

無碍の一道(むげのいちどう)

です。

無碍とは、

何ものにも妨げられない

という意味です。

煩悩があっても、その煩悩が救いを妨げることはありません。

だからこそ、この道は

・無上の幸福

・不可称・不可説・不可思議の信楽

と讃えられています。

人間の煩悩よりも、阿弥陀仏の救いの力のほうが、はるかに大きいからです。

人間の持つ代表的な三つの煩悩

あわせて読みたい
煩悩は治らない?欲・怒り・ねたみから解放される仏教の教え 「欲が止まらない」 「すぐイライラしてしまう」 「人と比べて落ち込む」 こうした悩みは、多くの人が抱えています。 仏教ではこれを煩悩(ぼんのう)といい、誰もが避...

雲に覆われても太陽は輝いている

親鸞聖人は、この救いを次の言葉で説明されています。

譬如日光覆雲霧  雲霧之下明無闇

これは、

太陽が雲や霧に覆われても、その光は失われない

というたとえです。

私たちの煩悩は雲や霧のようなものです。

欲や怒り、ねたみ、そねみによって、自分の心は真っ暗に思えることがあります。

しかし、

雲の上では太陽は変らず輝いています。

同じように、

阿弥陀仏の智慧と慈悲は、

どれほど煩悩が深い人にも変わることなく届いています。

だから親鸞聖人は、

無明の闇を破する慧日なり

と教えられました。

慧日とは智慧の太陽です。

人間の無明という闇を、阿弥陀仏の智慧が破ってくださるのです。

平生の一念で信心を獲得する

親鸞聖人の教えでは、

救いは死ぬ間際に決まるのではありません。

生きている今(平生)に、信心を獲得したときに往生は定まります。

これを

平生業成(へいぜいごうじょう)

といいます。

煩悩がなくなってから救われるのではなく、

煩悩あるまま、阿弥陀仏に必ず救われる身と定まるのです。

これが親鸞聖人の明かされた他力の救いです。

親鸞聖人が教えられた平生業成について

あわせて読みたい
親鸞聖人が教えた本当の幸せとは?仏教の「平生業成」と無明の闇をわかりやすく解説 「今のままで本当に幸せなのだろうか…」 そんな不安を感じたことはないでしょうか。 お金や生きがいを手に入れても、どこか満たされない、虚しさが残る。 仏教では、そ...

仏教を聞く目的とは

では、なぜ仏教を聞くのでしょうか。

それは、

知識を増やすためでも、

教養を身につけるためでもありません。

阿弥陀仏の本願を聞き、信心を獲得するためです。

信心を獲得すると、

人生の環境がすぐ変わるわけではありません。

煩悩もなくなりません。

それでも、

阿弥陀仏に必ず救われる身と定まり、

人生の根底に揺るがない安心が開かれます。

これこそが、

不断煩悩得涅槃という教えなのです。

阿弥陀仏の本願について詳しく書かれた本

あわせて読みたい
『歎異抄をひらく』 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。これは「歎異抄」三章の一節ですが、とても有名な一文です。その訳は善人でさえ、浄土へ生まれることができるのだから、...

まとめ

「不断煩悩得涅槃」とは、煩悩を断たなくても、阿弥陀仏の本願によって最高の幸福へ導かれるという親鸞聖人の教えです。

感想

煩悩があるままで幸せになれるということがわかりました。煩悩はなくすことができない。人間は煩悩でできている。信心獲得した世界とは、無碍の一道、無上の幸福などといわれると学びました。

煩悩があるままで救われる世界があることを親鸞聖人は生涯教えられ続けました。

動画

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

コメント

コメントする

目次