要約
信心決定が早い人と遅い人の違いは聞法心の違い
→ 聞法心とは仏法を聞きたいという心
→ 聞法心が強いか弱いかが早く信心決定できるかどうか
聞法心の大切さを蓮如上人は次のようにいわれている
→ 陽気・陰気とてあり、されば陽気をうくる花は早く開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かように宿善も遅速あり。されば已・今・当の往生あり。弥陀の光明に遇いて早く開く人もあり、遅く開くる人もあり。兎に角に信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞すべきなり
宿善 = 宿世の善根
宿世 = 過去世
善根 = 善
宿善に 厚い 早く救われる 頓機の人
薄い 遅く救われる 漸機の人
宿善が厚いか薄いかは聞法心の強弱となって現れる
弥陀の光明によって早く開く人と遅く開く人がある
→ 弥陀の光明が最も強く当たる場所は聞法の場所
→ 仏法を聞くことが弥陀の光明に遇うということ
どうしたら真剣に仏法を聞けるようになるか?
この世は火宅無常の世界だと認識する
→ 私たちの人生とは火のついた家のようなもの いつどうなるかわからない儚い命
→ 自分が火宅無常の世界にいる自覚を持つ
感想
信心決定が早いか遅いかは、真剣に仏法を聴聞できるかどうか。真剣に聴聞するためには火宅無常の世界にいることを自覚する。
忙しい時、仏法を聞くのはまたあとでいいかと思うときがある。火宅無常の世界にいることを忘れてしまい聴聞を後まわしにしてしまう。それではダメなのだがつい自分を甘やかしてしまう。真剣に聞くというのも難しく、仏法を聞きながら他のことを考えてしまう。信心決定までの道のりはまだまだ先のように思える。
仏法は聴聞に極まると言われるが、簡単なようでとても難しいことだと知らされる。
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