要約
龍樹菩薩 十住毘婆沙論
顕示難行陸路苦 難行の陸路の苦しきことを顕示し
信楽易行水道楽 易行の水道の楽しきことを信楽せしむ
難行 = 難行道 = 聖道仏教
→ 陸路を歩いていくようなもの それは大変つらい道
→ 丈夫志幹の者に説かれた 志(仏のさとりを目指す志)が幹のように太い者のこと
易行 = 易行道 = 浄土仏教
→ 川べりの船に乗り込んで水道をすいすいと行く道 とても楽しい道
→ 獰弱怯劣 志が弱い、怯えている、劣等そういう者のこと
→ 龍樹菩薩は自分は獰弱怯劣だといわれた
分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな
仏覚とは仏のさとり 仏覚を目指すのはどの仏教の宗派も同じ 仏教を求めることは仏覚を求めるということ
どの宗派にもあるもの
教 より処にしている教え お経
行 お経の内容にそって実行する
証 行の結果覚り(悟り)を得る
親鸞聖人 9才~29才 20年間比叡山で聖道仏教の修行をされた
→ 大曼の行をなしとげたが、煩悩を断つことはできなかった
→ 絶望して山を下りられた
→ 京都の町で法然上人にで遇い易行道の弥陀の救いがあることを知る
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば (親鸞聖人)
大悲の願船(南無阿弥陀仏の船)に乗せていただいたことを信心決定という 船に乗せていただいた心を信楽という
信楽の信とは 大安心 後生大安心
信楽の楽とは 大満足 人生の目的成就
感想
信心決定とは浄土に往って仏に生まれることが定まったこと。それが大悲の願船に乗せていただくということであり、信楽になったということ。悟りとは仏の覚りのことですべての宗派が目指すもののことだ。
龍樹菩薩という小釈迦とも八宗の祖ともいわれた方が、自分は獰弱怯劣だといわれたことに驚いた。龍樹菩薩が獰弱怯劣ならすべての人が獰弱怯劣以下になるのではないか。丈夫志幹の者など誰も当てはまらない。聖道仏教とはいかに難しく過酷であるかがわかる。親鸞聖人も比叡山で聖道仏教の修業をされたが、救われる道はないと下山された。
浄土仏教は煩悩があるままで救われる教えが説かれている。それはすべての人を信楽の身にしてみせる、という阿弥陀仏のお約束のことだ。阿弥陀仏の本願がなかったらすべての人は救われない。そこが浄土仏教の素晴らしさだと思う。
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