やがて必ず死なねばならないのに「生き方」しか考えていない。
人間は生まれると同時に海に放り出された状態 → やがて溺死
生き方 = 泳ぎ方 → 人それぞれ
どの方角へ向かって泳ぐかを知らない。
世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく(一休)
なぜ人間の命は尊いのか? どこに向かって泳げばいいのか教える人がいない。
生き方しか考えていない
生きる目的を説いたのが仏教
人身受け難し、今すでに受く。 → 人間に生まれてきてよかった。
世人薄俗にして共に不急の事を諍う(お釈迦さま)
感想
やがて必ず死ぬのに生き方しか考えていない。確かにそれはおかしいことだ。泳ぎ方しか知らないと同じことだから。海の例えはとても分かりやすかった。どの方角へ泳いでいったらいいのか。誰かに教えてもらったことはない。どう泳げばいいのかそれしか考えたことがなかった。仏教にはどこへ向かって泳げばいいのかが教えられているという。それは知りたい。生きる手段と生きる目的。どちらも大切だ。生きる目的がはっきりすれば人間に生まれてきてよかったと思える。そうなりたいからこそ、これからも仏教を聞き続けていきたい。
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