そなえ 35歳までに学んでおくべきこと

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三十五歳——。 プロ野球選手にとっては——最近は身体のケアの方法が進み、酷使されることも減ったことで選手寿命が長くなったとはいえ——そろそろ現役を引退し、第二の人生を歩みはじめる時期だといえる。 サラリーマンであるならば、ふつうは管理職として部下を束ね、組織のなかでとりわけ重要な役割を担っていくことが期待されるころだ。 あるいは、それまでの人生を一度リセットし、新たなスタートを切るとしたら、ギリギリとはいわないまでも、かなりの覚悟がいる年齢ではないかと思う。 いずれにせよ、人生のひとつの節目、大きな岐路を迎えるときが三十五歳といえるだろう。

本書は野村克也さんが人生で実際に考え、実践し、会得した真実が述べられている。1935年京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1965年、戦後初の三冠王に輝く。首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回獲得。1970年、35歳で選手兼監督に就任、1973年にリーグ優勝。その後選手としてロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレー。1980年のシーズンを最後に引退する。解説者として活躍後、1990年よりヤクルトスワローズ監督として球団をリーグ優勝4回(日本一3回)へと導いた。その後、阪神タイガース監督、社会人・シダックス監督を経て2006年より東北楽天ゴールデンイーグルス監督。

「他人があってこその自分であり、人のためになってこそ人間である」という謙虚さと感謝の心、そしてそれを持てる素直さを忘れてはいけない。 この言葉はつい自分中心に物事を考えてしまうときに思い出したい言葉だ。僕自身、自分の意見を通したいときや、自分の都合でやりたいことだけをやってしまうことがある。他人の気持ちなどあとまわしにしてしまう。それでは人との関係は悪くなってしまう。謙虚さと感謝の心の大切さを教えられる言葉だ。

「無駄だと思うことはしない」というのではなくて「無駄だと思えるようなことでもやってみる」ところから、人生というものは開けてくるのではないか—— やっても無駄と最初から何もしなければ、何も始まらない。すぐに無駄と決めつけるのではなく、少しでもやってみると無駄じゃないと思えることがある。僕自身、ウォーキングをしているときに空き缶や空き瓶などのごみ拾いをすることがあるが、こんなことをやっていても無駄のように思えることがある。ごみを拾ってもごみを捨てる人はなくならない。どれだけやってもごみはなくならない。でも無駄だといって何もしなければごみは増えていく。だから無駄じゃないと思いなおすようにしている。

「”失敗”と書いて”せいちょう”(成長)と読む」 失敗したら、それを反省し次につなげるための糧とすればいい。その過程で人間は成長していく。 できるだけ失敗はしたくないと思ってしまうからなかなか挑戦ができない。仕事においても恋愛においても。失敗すると恥ずかしいと思ってしまう。しかしそれでは成長もできない。失敗と書いてせいちょうと読むとは面白いなと思う。野村克也さんの独特の表現でとてもいい。

本書では他にもたくさん心に響く言葉が紹介されている。野村克也さんの人生哲学がおしげもなく披露されている。この本を読み終えたころには生きる活力が湧いてくるだろう。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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