要約
すべての人は名誉欲に振り回されている
→ 親鸞聖人も同じ
悲しき哉や、愚禿鸞、名利の大山に迷惑す。恥づべし、傷むべし。
→ 名誉欲が大きな山ほどあり常に迷惑している
世の中は名誉欲を満たすことでいっぱい
→ 学歴競争 出世競争
→ 競争するもの 財力 知力 腕力 容姿 配偶者 子供
名誉欲に振り回されている
仏教では人の評価は他人鏡で自分を映しているといわれる
→ 他人鏡はあてにならない
→ 今日まで褒めていた人が、明日事件を起こすと悪く言われるのが他人の評価
世間は他人鏡にいかに綺麗に映るかが人生の目的のようになっている
親鸞聖人は9才から29才まで比叡山で修行された
→ 比叡山は当時、日本の仏教の中心地だった
→ 親鸞聖人は修行して頭角を現したが、29才のとき修行を諦めて下山された
なぜ、下山されたか 当時の心境は
→ 何ぞ浮生の交衆を貪って 徒に仮名の修学に疲れん
→ 人の目に振り回されている浮草のような根っこのない、付和雷同の人々との交わりをいつまでも貪っているわけにはいかない 仮そめの名誉のための修業や学問に振り回されている場合じゃない
仏教では、死ぬということを真面目に見つめることが本当の幸せになる第一歩であると教えられる
→ 無常を観ずるは菩提心の一なり
感想
他人からの評価に一喜一憂するのはすべての人がそうであり、親鸞聖人も同じだった。人はどれだけ名誉欲を満たすことができるのかに振り回されている。
名誉を求めて頑張ることは良いことだと思うが、欲は際限がなく、満たされることはない。欲を邪魔されると怒りが湧いてきて人を傷つけてしまう。また自分よりも名誉がある人に対して、妬み嫉み憎しみの心がでてくる。
仏教では欲は三毒の煩悩の一つに挙げられる。欲のせいで煩い悩むことが人生では多い。人は煩悩をなくすことはできない。だから死ぬまで苦しみ続けなければならない。しかし、仏教には煩悩があるままで、本当の幸せになることができると教えられている。
そんな幸せは本当にあるのか。自分で確かめるほかにない。
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